カンタンに読める!金色夜叉/現代版

鬱々とした生きざまの貫一
そこへ来た人物が物申す

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続金色夜叉第4章-1-

 荒尾、動く

  主夫婦を併せて焼亡させた鰐淵の邸宅は、最近貫一の手によってその跡地に建て直された。以前よりは小ぶりに質素を第一に建築したが、かつての造りをそのまま寸分違わず模したかのような出来栄えとなった。
  間貫一と表札を掲げ、彼はこの新居の主人になった。家を継ぐべき直道はどうしたのかって――?
  彼は最初からこの不義の遺産に手を出さないのだと宣誓した。なおかつ貫一に譲渡し、真っ当な事業の原資に使ってくれと願った。彼は貫一が善人に変わってくれるよう切望したが、貫一がこの家の主となった今、事態は彼の思うようにはならなかった。貫一は先代の志を翻すことなく、ますます熱心に例の貪りに拍車を掛けてしまったのである。
  そういった経緯があった彼と貫一の今日の関係は、どうなってしまったのか。それを知る者はいない。そもそも人生各々の裏には必ずこのような内情やヒミツと呼ぶべき事があるものだが、幸いにも他人の詮索を免れて曖昧のうちに裏に葬り去られることが少なくないのだ。鰐淵の家のこの一件についても同様で、彼と貫一の他には漏れることなく終わったのである。

  こうして今は鰐淵の手下どころか有数の名を成した市ヶ谷の間貫一は、外ではじゃんじゃんカネを貸して、ガッポガッポと回収をする派手な商行為をしていたが、家では老いた家政婦を雇い、こじんまりと独身生活をしていた。奢らず、楽しまず、心はかつての鰐淵の部下のまま、心情も失意の大学院生のままで、依然として変わり者と称される暮らしを送っていたのである。
  外出した後、日暮れにさすがに疲れて帰って来た貫一は、いつものように我が家ながらも人の気配のないリビングルームで、旅の木陰で休むに似た思いに浸っていた。とはいえ座りこむわけでもなく、格別物悲しい夜の暗さにただ孤独を感じていたのだ。

  そこへ家政婦が来て貫一に告げた。
「今日の三時ごろですが、お客様がお見えになりました。明日の同じ時間に来るので、是非ご在宅くださいとおっしゃって。お名前を伺っても『学校の友達だと言えば良い』と、そうおっしゃってお帰りになりました」
「学校の友達?」
  この藪から棒の訪問者が誰かと憶測したが、心当たりがない。
「どんな感じの人だった?」
「そうですねえ。年齢は四十くらいで、髭がぼうぼうに生えていて、背は高くて、しかめっつら。チンピラみたいな見た目をしていましたが」
「……」
  なんとなく思い当たる節はあれど、考えてみてもやはり違っている気がしないでもない。

「それにまあ、なんとも横柄な人でした」
「明日三時ごろまた来るって?」
「そうです」
「誰だろう」
「何だか本当に真っ当な人ではなさそうでしたが。明日いらっしゃったらお通ししますか?」
「じゃあ用件は言って来なかったのだね?」
「そうなんですよ」
「良い。会ってみよう」
「そうですか」
  そう返事して立ち去ろうとした彼女だったが、ふと居直って更に続けた。
「それから何でしたか、間もなく赤樫さんがいらっしゃいまして」
  貫一は不快の表情を浮かべて、これに応えた。
「神戸の蒲鉾を三枚、立派なのをいただきました。それに藤むら(文京区にあった和菓子屋。現在は閉店)の蒸し羊羹をくださって。私にまで毎回何かしら買って来てくれるのですよ」
  彼はますます不快を禁じ得ない顔で、受け答えもせずに聞いていた。
「それで明日五時ごろに少しお目にかかりたいから、そう伝えてくれとおっしゃってました」
  良いと口に出すことなく、むしろ駄目だと言いたげに彼は忙しなく頷いた。

  学校の友達だと名乗った客は、その言葉どおりに再びやって来た。不可思議な対面に驚き惑える貫一は、突如の雷鳴に耳を覆う暇すらなかったかのように、激しく狼狽した。そしてただただ呆然とするしかなかった。
  荒尾譲介は席が温まるまでの手遊びに髭をまさぐり、長く忘れていた友人の今の姿をじっと見入った。
「ほとんど一昔と言っても良いほどに時が流れたから、話はたくさんある。けれどもこれよりも先に聞いておきたいのは、キミは今でも僕を、この荒尾を親友だと思っているのかいないのかということだ」
  回答すべき人の胸は、まだ自在に語ることができないほどに乱れていた。
「考えるまでもないだろ。親友だと思っているなら『いる』、そうでないのなら『いない』と言うまでのこと。イエスかノーかの選択だ」
「そりゃ、昔は親友だった」
  彼は覚束なく言葉を発した。

「そうか」
「今はそうではない」
「理由は?」
「その後、五年も六年も全く会わずにいたのだから、今では親友だと言うことはできないだろ」
「何を。五・六年前だって全く親友ではなかったじゃないか」
  貫一は目をそばめて荒尾を訝った。
「だってそうだろ。学問の道を究めるか、闇金屋になるかという身の浮沈の一大事に、何の相談をもしなかったばかりか、それっきり失踪してしまったのに、どこが親友なのか」

相手を睨む男

  普段から恥だと思い悔やんでいる事を責められた貫一は、まだ癒えぬ傷を裂かれる心地がし、苦しげに身を丸めて声も出せずにいた。
「キミのフィアンセはキミを裏切ったのだろうが、親友は決してキミを裏切らないはずだ。その親友をなぜキミは捨てたのだ。その通り捨てられてしまった僕だけれど、こうしてまた尋ねて来たのは、僕はまだキミを捨てたわけではないと思ってくれよ」
  学生だった荒尾、総務省の役人になった荒尾。今や落ちぶれてみすぼらしい姿に変わってしまったが、彼はまだ一片の変わらぬ物を持っているのだと貫一は悟った。夢と消え、過ぎ去り、消し飛んだ跡なき跡を彼は悲しくも偲んだ。

「しかし僕が捨てても捨てなくても、そんな事にキミは痛痒を感じないかもしれない。けれど僕は僕で親友の義理としてとにかく捨てる前に一度こうして尋ねて来た。で、断固として捨てるのか、もしくは捨てないのか、それは今日に懸かっている。
  今では荒尾を親友だとは言えないのだとキミが言ったところを見ると、今更親友であることをキミは望んでいないようだ。だったらそれでも結構。僕のほうでも敢えて望む理由はない。僕は宣言してでもキミを捨てるさ!」
  貫一は頭を垂れたまま何も答えなかった。

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