カンタンに読める!金色夜叉/現代版

闇金に身を落とした貫一
その紆余曲折とは

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中編第3章-1-

 貫一の現在

  赤坂(あかさか・東京都港区)の辺りで「写真のダンナ」と言えば、知らない者はない。それもまあ、このダンナが外出する際にカメラをわんさか車に積んで行かない日がなく、そりゃ人目にも触れると言うもので、かくしてそんな渾名で呼ばれるようになったのである。落語の「将棋の殿様」のような下手の横好きだと思われたであろうか。いや、彼はそうではない。
  才覚に優れ、学識は高く、参議院議員くらいであってもおかしくない器である。五年もの期間をドイツで過ごし、先祖代々の富を抱え、考えなしに浪費する大雑把さで散財してもなお、歳入は歳出の5倍にもなろうかという。数ある資産家の中でもまた指折りの人間だと評判の田鶴見良春(たづみよしはる)とは、この人物のことなのだ。
  赤坂の邸内には、唐破風造(からはふづくり)の昔ながらの邸宅に並んで、ドイツより戻ってから建てた三階建のレンガ造りの怪しいまでに見慣れない様式のものがある。このダンナの趣味で、ドイツの名のある古城の面影を偲んで、ここに建てたのだそうだ。これを書庫と書斎と客間にあて、何も用事がない暇な日は、書物に耽り、絵画を楽しみ、彫刻を愛し、音楽を嗜み、最近では専ら写真に凝ってしまって、年齢は三十四にもなろうというのに、頑として未だ独身。
  その佇まいも、出掛ける姿も、帰って来る様子も、何もかも常に飄々としていて、全く資産家っぽさは窺えない。それでも滲み出る品格というものがあるのだろう。色白できりっとした眉、高い鼻、爽やかな眼。見た目の清らかさたるや、まるで宝石を散らした樹が風に吹かれ輝いているかのごとしだ。先祖代々美男だったようで――

  であるならば、良い縁談は次々と来るというもので、それこそ蝶を捕まえようとせっせと巣を拵える蜘蛛の糸よりも細やかな頻度だったものの、一切興味を示さず顧みもしない風情で、飄々と構えて引き籠っては趣味に没頭し、家族にも結婚する気のないことを主張。人の諌めなんてものは全く聞かなくなってしまった。
  というのも、ドイツ留学の折に陸軍中佐とかの娘と相思相愛になり、行く末を誓っていたことがあったからだ。月夜に愛のオールで漕ぎ出たボートに二人は、たゆたう水の流れを指差して、
「この水が枯れる日があったとしても、僕たちの恋の炎が消えるときはないんだ」
と互いに誓い合ったのである。
    ところが帰国して母親に結婚の話を振ってみれば、酷く驚かれてしまった。
「とんでもない! 外国人を嫁にだなんて、動物を飼うんじゃないんだから。由緒ある田鶴見の家を動物園でもする気かい。我が子ながらなんて疎ましいことを言い出すものか…」
  涙ながらに大反対されて、挙句には病に伏せってしまったので、ダンナも仕方あるまいと心苦しく思いながらも、それでもいずれは結ばれたいと音信だけのやり取りを続けた。相手の女性も三年もの月日を、憂鬱に沈んで死んでしまいそうになるほど味気なく過ごしていた。

  しかし一昨年の秋、物思いが積もった結果、心が弱り、生きてはおれぬと、彼女はその苦しみを神の手に委ねてしまう。天国に導かれた彼女の姿など探すこともできず、最愛の人の死にダンナの胸は張り裂けそうになった。
  五感の大半を失ったような気になり、世間とはますます溝を深くしてしまい、今更この膨大な財産が何になるのか、家を継ぐ意味なんて何があるのかと、ただ亡き人を想うだけの日々を過ごすようになる。形見になるとは思いもしなかったが、書斎の壁に懸けた半身の像は彼女が十九の春のありさまを丹念に写生して、彼に送ったものだ。

  こうしてダンナはこの失望の極みでダラダラと怠惰な日々を過ごしていたが、ふとした思い付きで一台のカメラにカネを注いだ。そしておもちゃに夢中になる子供のように、自身のことも家のことも忘れてカメラで遊んでいたのだ。
  彼が遊びと散財に余念なく没頭できたのには理由がある。家には執事の畔柳元衛(くろやなぎもとえ)がいたからだ。彼は世俗に疎くなく、財産管理のエキスパートで、資産運用の術を熟知していた。だからこんな奔放なダンナが大黒柱の田鶴見家でも、幸いなことに破綻することがなかったのである。

  彼は資産運用の一つの手段として、密かに闇金の金主(きんしゅ・資金提供)を営んでいたのだ。一千万、二千万、三千万、五千万、ひいては一億もの巨額な金額であろうと容易に支出できる大きな資本主であったため、大口の客を引き受ける闇金業者で彼を頼らない者は皆無だったと断じても良い。
  けれども狡猾な畔柳は闇金への資金提供を公にせず内密にすることを最優先としたため、みだりに儲け話に身を乗り出したりはしなかった。最初から付き合いのあった鰐淵直行(ただゆき)ただひとりに貸し出すだけで、他は皆、彼の名義にて処理した。直接の取引をしなかったのだ。それゆえ同業者は鰐淵の資金源がどこかにあるとは勘繰っていたが、それがどこの誰なのかは誰も知らなかったのである。

  鰐淵の名が闇金業者の間で鳴り響き、威風堂々四天王のひとりとされるまでの勢いがあるのは、この金主の神の助けのような後ろ盾があってこそなのだ。
  彼はもともと田鶴見家に出入りする男だった。地位はもちろん高くなく、ただの使用人に過ぎなかったが、才覚があった。退職後、公務員になり、転職して商社に入り、一時は不動産業にも手を伸ばし、さらには万年青(おもと・古典園芸植物)の栽培やら、先物取引やら、何にせよあらゆる職をつまみ食いする。それでも気に入らないと、警察官になったところ上司の目に留まり、遂には警部にまで取り立てられた。そのうち、カネこそ権力だと感じたところがあって、在職中に貯め込んだ六百万円余りを元手に闇金を始めたのだ。
  世間はさほどこの種の悪商法に慣れてないらしく、これに乗じて騙すわ、脅すわ、おだててみるわ、暴力を振るうわ、法の抜け穴を潜っては逮捕を免れる所業を積み重ね、悪銭は一億以上に膨れ上がった。

紙幣

  ちょうどそのころ畔柳の後ろ盾を得たものだから虎に翼が生えたようなもので、現在彼の運転資金は五億とも十億とも噂されている。
  畔柳は彼が獲得した利益の半分を屋敷の金庫に仕舞い、もう半分を懐に入れていた。鰐淵はこれを元手に利益を得ていたことになる。
  こうして一のカネを元にその利潤を三にしてしまう執事の敏腕な働きは、主人が非生産的であろうとそれを補って余るのであった。

  鰐淵直行、この男こそ捨て鉢になった間貫一が、その身を寄せた人物である。
  牛や馬の頭に身体は人間という獄卒(ごくそつ・地獄で死者を責めるという悪鬼)の使用人として頼りにされ、市ヶ谷(いちがや・東京都千代田区)にある家に四年経った今も居候していた。彼は鰐淵邸の裏手の二階にある八畳の部屋を与えられ、名目は使用人ではあったものの、客も同然の処遇を受けた。使用人になり、顧問になり、主人の立派な右腕に成長していたので、四年もの長期滞在となってはいたが、鰐淵は彼を追い出すつもりなどない。貫一もまた新たに住まいを構える必要がなかったので、出て行こうと言う気持ちも特に起きなかったのである。
  こうして鰐淵の部下を勤める傍ら、若干の自前のカネを融資して自ら貸主となり営んでいる分もあるので、なまじっか今ここを退出して痩せ我慢して見栄を張るよりは、しかるべき時期の到来を待った方が得策だと判断していた。
  彼は専ら使用人としてよく働き、顧問として思慮深く行動するからというだけで、鰐淵の信用を得たわけではない。その年齢にも拘らず、色恋に近づかず、酒を飲まず、浪費せず、女遊びもしない。勤めるべき時は必ず働くし、するべきことは必ず実行する。自分をひけらかすこともしない。他人を貶めることもない。恭しく慎み深い上に気概があって、節操も固い。世にも珍しい若者なのだと、鰐淵はむしろ心ひそかに彼を畏敬していた。

  主人は貫一の人となりを知った後は、このような男がどうして闇金の道を志すようになったのかと疑った。貫一は自身の経歴を偽り、失望のどん底にいた我が身を闇金に落とした理由を告げなかったのだ。
  それでも彼が大学院生だったことは後々ばれてしまった。そのほかの一切の秘密に関して、今もなお鰐淵は疑問に感じているけれど、時が流れてしまって今更改めて詮索することもできない。いずれ彼が独立してもちゃんと応援してやろうと、鰐淵は常に彼を疎かにせず考えていた。
  直行は今年五十をひとつ越えて、妻のお峯(みね)は四十六。夫は勇ましい男で、人の哀しみを見ることなど犬がくしゃみをするのを見るのと変わらぬと、飽きることもなく貪っていた。それに引き換え、気立てが優しいと言うこともなく鬼の女房でありつつも、妻は人並みの心を持つ人間であった。
  偏屈ながらも律儀で特に愛するべき箇所まではなかったものの、憎らしい箇所など尚更ない貫一を、彼女は可愛がっている。何かにつけ彼のために世話を焼き、彼の幸せを祈っていたのだ。

  なんとも幸せ者の貫一。彼は世を恨むあまり、その執念が駆り立てるままに人の生きた肉を喰らい、それゆえいささか逆境に晒された飢えた腸を癒そうと極悪の道に身を捨てる大願を果たそうとした心の中は、百の呵責も千の苦難も渦巻く状態だったのである。
  そんな状況でこれほどの寛容なる信用と、温かい憐憫の心をかけてもらえるとは、オスのヤギの乳を手に入れることよりも類まれなことであろうが、彼はそんなことを別に望んでいたわけではない。暗欝の中の喜びとでも言おうか、彼はこの喜びをどう喜んだか?
  今は呵責も苦難も敢えて憎まず受け入れる覚悟を決めた貫一は、愛情も世話も信用も最終的には欲のためにメッキが剥がれ落ちて、憐憫の心も金銭の利のためにはケチられてしまう時がすぐにやって来るんだと固く信じていただけであった。

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