カンタンに読める!金色夜叉/現代版

新幹線の車中で語られる
5人の男の興味の的の女

目次 > 中編 > 第1章 1 / 2

中編第1章-1-

 東京駅発16時2分

  東京駅の大時計は十六時を過ぎること二分あまり。博多行きの新幹線は既に発車のアナウンスが流れ、ヘッドライトが点灯し、十六もの車両を連ねて蛇のように横たわっていた。直射する秋の日影に夕映えして、窓々のガラスは燃えるかと思われるくらいに輝いている。
  駅員は右へ左へ走り、早く早くと言わんばかりに乗客を急かすものの、大股で悠々と歩く老いた欧州人は、業務用ビール樽ばりに腹を突き出して、ピンクの服を着てオレンジのリボンを柄に飾った日傘を持つ十七・八歳の娘を小脇に並べ、まるで自分が所有している乗り物に乗るかのように慌て急ぐ気配もない。
  その後からは、遅れまいと血相変えて、大きなバッグを抱えた上に四歳くらいの子を背負った女性が、なりふり構わず駆けこんで来た。この車両でいいのか悪いのかおろおろしていたのを、駅員が誘導して何とか乗りこめたと安堵するも束の間。
  今度は青っ洟(ぱな)を垂らした女児を率いた五十そこそこの中年男性が、これもまた迷って行きつ戻りつした挙句、駅員に誘導されて車両に押し込まれた。が、運悪くちょうど閉まるドアに袖を挟まれて、わあわあと救いを求めるなどなど…まだ東京駅を出発する前から旅の哀れを見るありさまだ。

  五人の若い男性グループが、グリーン車の片隅に陣取っていた。その中に旅行らしい手荷物を携えている者は、一人しかいない。他は皆、新横浜で降りるのだと思われる軽装だった。
  フォーマルなジャケットを着ている者と、高価なスーツを着た者、パーカー姿も一人。トレンチの者と、その向かいに座る者だけがコートを着用していた。
そのうちの一人が、コンコースで受け取った餞別の品々を網棚の上に片付けて、その手を摺り払いながら、窓の外を眺めている。ホームの向こうを何か探すかのように見ていたが、すぐに藍色の夕晴れの空を仰いだ。
「不思議といい天気になったな。このぶんなら、大丈夫だ」
「今晩降り出すのもそれはそれでいいだろうさ。なあ、甘糟(あまかす)
  黒のパーカーを着ていた者がこう言って、何やら含みのある微笑を洩らした。
  甘糟と呼ばれた男は、ブラウンの淡いストライプが入ったジャケットを着ていて、この中で唯一髭を伸ばしていた。甘糟が答えるより先に、スーツ姿の風早(かざはや)が若いのに似合わぬ皺枯れた声を振り絞った。
「甘粕はそれはそれでいいと思うんだろうが、お前はむしろ雨のほうがいいんだろ?」
「バカ言え。甘糟が痩せ我慢して言っていることくらい俺はちゃんと判っているんだからな」
「そりゃどうも」

  トレンチコートの者が、へばりつくようにシートにもたれていた背中をにわかに起こした。
「風早。お前と僕はね、今日は実際のところ、道連れの生贄なんだよ。佐分利(さぶり)と甘糟は、ずっと横浜って叫んでたぞ。なんでも、この間、ヘブンを発見したんだそうだ。それで俺たちを引っ張って行って、大いに騒ごうじゃないかって魂胆なのさ」
「何だ何だ! 君らがこの二人の生贄にされたって言うのなら、僕は四人のために売り捌かれたようなもんだよ。そんなことしなくて良いって言ったのに、是非横浜まで見送りたいって言ってさ。申し訳ないなあと思ってたのに、僕を見送るのを口実にして君らは…
  けしからんことだぞ。学生のころから、そっち方面の勉強に励んでいた君らのことだから、先が実に思いやられる。まあ、クビにならん限りは遊ぶのも良かろうが、注意しなよ。本当に」

  この年寄り臭い発言をしたのは、今や四年も昔となったが、間貫一が兄のように慕っていた同級生の荒尾譲介(あらおじょうすけ)だ。彼は去年、国家公務員Ⅰ種試験合格を経て総務省に入省し、一年経った今日、愛知県の事務所に転属。赴任の途に就くところなのである。
  その年齢と思慮深さと誠実さをもって、彼は同じ大学院の先輩として心服されていた。
「これが僕の君らへの意見の言い納めだ。できるだけ君らも自重するようにな」
  面白く囃し立てていた一同は瞬時に白けてしまった。窓の外の景色が流れてゆく。

新幹線

  佐分利は何度も頷いて返した。
「いやあ、そう言われるとゾッとするよ。実はね、さっき、駅で例の『美人クリーム』を見掛けたんだ。(美人の高利貸し(=氷菓子=アイスクリーム)の意味の造語)
  あの声でトカゲを貪り食うのかと思うとね…いつ見てもあの美貌には驚嘆するよ。まるで女優だ。とりわけ今日はめかし込んでいたけれど、どこかに旨い儲け話でもあると見たね。
  あいつに絞り取られたら敵わない。あれこそまさに、真綿で首を絞めるってやつだろうさ」

「見たかったね、それは。俺も名前は耳にしているよ」
と、トレンチコートが言葉を続けようとするのを遮って甘糟が口を挟んだ。
「おお、宝井が退学を食らったのも、そいつが債権者たちの中枢だったと言うじゃないか。よっぽどイイ女だそうだね。ゴールドのブレスレットなんかをチャラチャラ嵌めてさ。
  酷いヤツだ! 歌舞伎に出てくる越後の女賊『鬼神のお松』そっくり。佐分利が『鬼神のお松』のことを知ってて彼女に声を掛けたのなら、冒険でもする目的があってのことだろうが、ミイラにならんように気を引き締めてかかったほうがいいぜ」
「そいつには誰か後ろ盾があるんだろ。亭主がいるのか、それともパトロンか、何かあるんだろ」
  皺枯れ声の風早が出し抜けに疑問を呟いた。

「それについてはドラマみたいな経歴があるんだよ。パトロンじゃない。亭主がいるんだ。この男がだな、以前にその名を世に轟かせた闇金で、赤樫権三郎(あかがしごんざぶろう)って名前のな、無法な強欲野郎で、加えてとんでもないドスケベと来てる」
「なるほど! プラス極とマイナス極が繋がって、爪に火も点されるわけだ」
  トレンチコートの得意の混ぜっ返しに、落ち着き払っていた荒尾も堪え切れず破顔した。
「その赤樫ってヤツは、貸した金の取り立てを利用して女を弄ぶのが趣味なのさ。こいつのために汚された女は、結構な数そこらにいるそうだぞ。
  で、今の話に出た『美人クリーム』もな、その手に引っ掛かったクチなのだ。もともと貧乏公務員の娘で、カタギだったんだが、あのオッサン、この娘を見て食指が大いに動いたわけさ。それで、彼女を我が物にしたいがために、父親に少しばかりのカネを貸したそうだ。
  そんで、期限が来ても返せないわけだが、それを何とも言わず、後から後から三度も四度も追加で貸しておいて、そろそろって時分に『人手が足りなくて困ってるので、半月ほど娘の手を貸してくれ』と言いだすわけさ。
  ヤツの意図なんて見え透いたものだが、これを断るのはなかなかできないってのが人情だ。今から六年ばかり前の話で、娘が十九、オッサンが六十ほどのハゲ頭だから、まさか情欲のためとも思わなかったんだな。そうやって家へ引っ張って行って口説いたんだ。女房がいないものだから、飯炊き女みたいなのを囲っていたそうだが、いつの間にやら、その娘が愛人同然になってしまったのは、どういうことだろうね!」

続きを読む