カンタンに読める!金色夜叉/現代版

いよいよ主人公
貫一が登場

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前編第2章

 許婚

  カルタ遊びの会は十二時になって終わった。十時ごろから一人減り、二人消えて、見る間に三分の一以上の人数を失ったが、なお飽きずに居残る者たちは景気良く勝負を続けたのである。富山がリビングに姿を隠したと知らない者は、きっと負けて逃げ帰ったのだと思い込んでいた。
  お宮は最後まで残っていた。彼女が早々に帰ってしまったのなら、おそらく会に踏みとどまったのは三分の一弱に過ぎないだろうなと、富山は我が物顔で主人と話す。

  お宮に心を寄せる男どもは皆、彼女の深夜帰宅の道中を心配して、自分こそ彼女をどこまででも送り届けたいものだと、したたかにも思い念じていた。けれども彼らの親切は無駄に終わってしまう。お宮が帰る際、一人の男性が付き添ったのだ。
  その男は黒いジャケットを着た二十四か五くらいの大学院生だった。富山のダイヤに次いで彼の挙動が目を引いたのは、あの会の面々でお宮と親しげに見えたのは彼一人だけだったからだ。この一点の他には、特段注目を浴びる要素はない。彼は多弁ではなかったし、騒ぎもしなかったし、終始慎ましくしていたのだ。会の終わりまで、この二人が懇意だとは誰も知らなかったのである。むしろよそよそしく見えたくらいだ。
  そんな具合だったものだから、お宮とその大学院生が連れ立って門を出て行くのを見て、初めて失望を覚えた者も少なくなかった。

  お宮はやや紫がかったグレーの帽子を被り、黄色地に白い模様が描かれた毛織のショールを纏っていた。大学院生は焦げ茶のコートを着ていたが、吹き荒れる木枯らしを身をすぼめてやり過ごしつつ、遅れて歩いてきたお宮が追いつくのを待って切り出した。

「宮さん、あのダイヤの指輪を填めていた奴はどうだった? なんだかやけに気取っていたが」
「そうね。だけど皆があの人を目の敵にして乱暴するものだから、気の毒だったわ。隣同士だったから、私まで酷い目に遭わされたもん」
「うん。あいつ、偉そうにしてやがるからさ。実は僕も横っ腹を二発ほど突いてやった」
「えっ…酷くない?」
「ああいう奴は男の目から見ると反吐が出るんだが、女にはどうだろうね。ああいう男を女は気に入るんじゃないかい?」
「私はイヤ」

夜の邸宅

「香水の匂いぷんぷんさせてさ、ダイヤの金の指輪填めてさ、殿様か王様かって服着てさ。イイに違いないさ」
大学院生は嘲るように笑った。
「私はイヤよ」
「イヤだったら、ペアなんか組むもんか」
「ペアはくじ引きで決まったんだもん。仕方ないわ」
「くじ引きだったけど、ペアになってもイヤそうには見えなかったぞ」
「そんな無茶言って…!」
「六百万のダイヤじゃ、到底僕らが敵う相手じゃないし」
「もう知らない!」
お宮はショールを揺すり上げて鼻まで覆い隠した

「ああ寒いっ!」
そう言って彼は、肩をすぼめてお宮に寄り添う。お宮は黙って歩いていた。
「ああ寒いっ!!」
お宮はまだ答えない。
「ああ寒いっ!!!」
ようやく初めて彼の方を振り返り、
「どうしたの?」
「ああ寒い」
「あらやだ、どうしたの?」
「寒くてたまらん。その中へ一緒に入れて」
「どこへ?」
「ショールの中」
「可笑しい、イヤよ」

  彼は素早くショールの片方の端を手に奪い、その中に自分の身を滑り込ませた。お宮は歩みを止めて笑い、
「貫一(かんいち)さん、これじゃ歩けやしない。ほら、向こうから人が来るわよ」
  こんなイタズラを平然として、しかもされている女もなされるがまま。咎めもせずにイチャイチャしている彼らの関係とは…
  ある事情があって十年来の間、鴫沢の家に厄介になっているこの間貫一(はざまかんいち)は、実は今年の夏にお宮と籍を入れる予定の男なのであった。

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