カンタンに読める!金色夜叉/現代版

なぜ満枝が荒尾と
顔見知りなのか?

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続金色夜叉第4章-5-

 荒尾の過去

  ほどなく部屋に灯りが点った。ただ茫然と竦むだけの貫一。灯りに照らされた満枝の姿は、更に念入りに化粧したかのように妖艶に映った。さながら色香を欲しいままにする牡丹の枝に大輪の花を咲かせたかの風情で、彼女は親しげに話しかけた。
「間さん、あなたどうされたの? 酷く塞ぎこんでいるじゃないですか」
  彼は気だるそうに僅かに視線を移して答える。
「一体、あなたがどうして荒尾をご存じなのですか?」
「私のことよりも、あなたがあの人のご友人でいらっしゃるほうが、実に私、意外でしたわ」
「あなたはどうしてご存じなのです?」
「まあ、債務者のようなものです」
「債務者? 荒尾が? あなたの?」
「私が直接関係したワケではないのですけれどね」
「はあ、それで金額はいくらほどなのです?」
「六千万ほどですわ」
「六千万? それでその直接の貸主というのは、どこの誰ですか?」

  彼がにわかに態勢を変え、膝を前に突き出さんばかりにするのを見た満枝は、口元を歪めて笑みを忍ばせた。
「あなたは本当に現金な性格なのね。ご自分が聞きたいことは熱心に尋ねるのに、普段私が話しかけてもまるで取り合ってくれないじゃないの」
「まあ、それはいいじゃないですか」
「ちっとも良くありません」
「ううむ、そうすると直接の貸主がいるわけですね?」
「知らないわ」
「話してくださいよ。話によってはそのカネを、私が弁済したいと考えているのです」
「私、あなたからはいただきません」
「あげるのではなく、弁済するのです」

「いいえ、そんな相談に応じることはしません。それにあなたが是非にでも弁済するということなら、私、あの債権を放棄します」
「それはなぜですか?」
「なぜでも良いじゃないですか。ですからあなたが弁済しようとお考えなら、私に債権を棄ててしまえと言えば良いのです。そう言ってくだされば、私、喜んで棄てますわ」
「どういう理屈ですか、それ」
「どうだって良いじゃありませんか」
「全く意味が判らないのですが」
「もちろんそうでしょう。私だって自分が判らないくらいですもの。しかしあなた、間さんも随分鈍感でいらっしゃるのね」
「いや、私は理解してますよ」
「ええ。理解していながらちっともお判りにならないので、私もますます判らなくなるのです。そうお考えください」
  満枝は指に挟んだタバコを灰皿の縁に当てて灰を落とし、彼の顔に流し目の恨みを注いだ。

「まあそう言わず、とにかく話してくださいよ」
「勝手な人ですね、あなたって」
「さあ、話して」
「今、話して聞かせますわ」
  満枝は続けてタバコを吸おうとまさぐり、そばに誰もいないかのように緩やかに煙を吐き出した。
「あなたの債務者だったなんて実に意外です」
「――」
「事実だなんて信じられないことです」
「――」
「六千万! 荒尾が六千万の負債をどうして背負う羽目になったのか、そんなあり得ないようなことが――」
「――」
  ふと見れば、満枝はなおもタバコを手にしていた。
「さあ、話してください」
「こうやってぐずぐずしていたら、あなた、さぞかしじれったいでしょう?」
「当たり前です」
「じれったいってのは、良い気持ちじゃありませんわね」
「何をワケのわからんことを」
「はいはい、恐れ入りました。それじゃ早速話をしましょうか」
「どうぞ」

タバコ

「確か、ご存じですよね。以前、こちらにいた向坂(さぎさか)という者を。あれが名古屋へ行きまして、今じゃちょっと盛んにやっているのです。
  それであの方は、名古屋の事務所に赴任されていました。確かそうだったかと。その頃、向坂が何か手を伸ばしたのですよ。
  つまりあの方もこの件で論旨退職のようなことになって、また東京に戻らざるを得なくなったのです。あちらを引き払う際に、向坂から話がありまして、こちらに取り立てを委任してきたのです。ちょうど去年の秋ぐらいからは、すっかりこっちが引き継いでしまう形にしてしまいましたけどね。
  しかしそれはそれは取り立てに骨が折れる人で。ああしてずっと遊び呆けているも同然の暮らし向きで、翻訳か何かの仕事を少しばかりされているようですが、今のところどうにもこうにも手の着けようがない次第なのです」

「ははあ、なるほど。しかしあいつがどうして六千万というカネを借りたのだろうか」
「それはあの方は連帯保証人なのです」
「なんと! それで借主は誰なのです?」
「大館朔郎(おおだちさくろう)という岐阜の民主党員で、選挙に失敗したものですから、その活動費の後始末だとかいう話でした」
「うん、いかにもありそうだ。大館朔郎……それならばその話は事実だろうね」
「ご存じだったのですか?」
「彼は荒尾に学費の援助をしていた人で、あいつが始終恩人だと言っていたのです」

  言い終らぬうちから、彼の心は急に痛んだ。敬愛する荒尾譲介が困窮して、それでも憂い患う様子を見せず、天命を愉しんでいると言っていたのは、真に義のために功名を擲(なげう)って恩を返すために立身出世の道を放棄したからではないか。
  貧しい彼は幾万の資産家の富に勝る。我が友人は聖人君子だった。これほどまでに潔い志を抱く者が受ける報いの薄幸さが、甚だしく酷いことを思い、貫一はそぞろに涙が湧く目をじっと閉じた。

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