カンタンに読める!金色夜叉/現代版

隆三の話は貫一にとって
死刑宣告も同義だった

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前編第6章-4-

 死刑宣告

「どういう事ですか? 私でできることでしたら、何だって」
  貫一はこうも潔く答えてはみたものの、心の底には危ぶまれるものが無いわけではなかった。人はこんな言葉を口にするときは、だいたいできもしないことを言いだすものだ。
「ほかでもない、お宮のことだ。お宮を嫁にやろうかと思って」

  見るに堪えないほどの貫一の驚きを、なんとか掻き消そうと彼は慌ただしく言葉を継いだ。
「これについてはわしも色々考えたけれど、大局的に見て…いっそお宮を嫁にやってしまってだ、お前は大学院を卒業して、四五年ほどヨーロッパへ留学して人として立派になってから、身を固めるのはどうだろうか」

  貴様の命をくれと迫られたとき、その人の気持ちといったらどんなものか! 恐ろしいまでに蒼白となった貫一は、むなしくただ隆三の顔を眺めるだけだった。隆三は強く困惑したふうで、長い髭を揉みしだいた。
「お前に約束をしておいて、今更こんなことになるのは何とも気の毒だが、これについてはわしも深く考えた結果なのだ。絶対お前にとって悪いようにはしないから、いいかい? お宮は嫁に出すことに賛成してくれないか、な?」

  待てども貫一は無言だったので、隆三は戸惑う。
「なあ、悪く受け取ってもらっては困るのだ。あれを嫁にやるからといって、それで我が家とお前との縁を切ってしまうというのではないんだ。いいかい? 大したものではないが、この家はそっくりお前に譲るのだ。お前はやはりわしの跡継ぎなんだからな? で、留学もさせようと思うのだ。悪く受け取らないでくれ。
  約束をしたお宮をよそにやると言えば、なんだかお前に不足な点があるようにも聞こえるが、決してそういうことではないのだから、そこはお前がよくよく理解してくれなければ困る。誤解されては困るのだ。
  それにお前にしたって、学問を仕上げて、な? 立派な人物になるのが第一の望みだろう。その志を遂げてさえしまえば。お宮と一緒になるとか、ならんとかは、たいした価値のない話だ。なあ? そうだろう。
  しかし、これは理屈であって、お前も不服かもしれない。不服だろうと思うから、わしもこうやって頭を下げるのだ。お前に頼みがあると言ったのはこのことだ。
  これまでもお前を世話してきた。今後もますます世話をするつもりだから、そこに免じて、お前もこの頼みを聴いてくれ」

  貫一は震える唇を噛み締めた。なおのことゆっくりと口に出した声色は、怪しいまでに普段のものではなかった。

震えるほどの怒り

「それでは、小父さんの都合で、どうしても宮さんを私にくださるわけにはいかないってことですか」
「絶対にやらんということではないが、お前の意志はどうだ。わしの頼みを聴かず、また自分の学問の邪魔になろうとも、そんなのお構いなしに何がなんでもお宮を欲しいと言うのかい」
「…」
「そうではあるまいさ」
「…」

  言い返せない貫一の胸には、屁理屈じみた隆三の理不尽な物言いに憤って責める言葉、詰る言葉、罵り、論破するべき言葉、恥辱の言葉の数々が沸き満ちるが、彼は神以上の恩人である。理非を問わず、その言葉に逆らってはならないと思うがゆえに、血が出るまで舌を噛んでも口に出してはならないと念じた。
  貫一はまた思った。
――恩人が恩を盾にして迫って来て、俺はこれに屈するしかなくとも、小父さんは何のためにあの人との愛を引き裂こうとするのだろう。宮さんの愛情は俺の愛ほど細やかではないが、俺を捨てるほど薄い愛ではないのに。彼女が俺を捨てない限り、恩の盾も理不尽も恐れるに足らずだ。頼むべきは宮さんの心なのだから――
  彼は愛しいお宮を思い浮かべ、その父親に対する怒りを和らげようと努める。

  ――俺はいつも宮さんの愛情の細やかさを疑っていた。折しもこの理不尽は、あの人の愛の力を試すに相応しい機会…よしよし、解決の糸口さえ見えなかったこの難問を解いてやろうじゃないか――

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