カンタンに読める!金色夜叉/現代版

お宮のそっけなさに
今日も貫一はモヤモヤ…

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前編第6章-3-

 貫一の憤懣

  翌日、ようやく熱海から連絡があったものの、それはわずかに一通のメールだけで、無事に到着したことと、ホテルの名前を知らせてきただけに過ぎなかった。お宮から送られてきたものだったが、送信先は隆三と貫一の双方になっていた。
  読み終わった貫一は携帯を粉々にしてしまいたい衝動に駆られ、ぶん投げた。お宮がここに居れば、いかようにでも弁明できたであろう。彼女が優しく弁明しさえすれば、どんなに腹が立とうと貫一の心は治まらないことがない。お宮の前ではいつだって彼は、怒りも恨みも憂いをも忘れてしまうからだ。
  今、恋しい顔を見ることすら叶わぬ失望に加え、こんな仕打ちまで受けて、おまけに仕打ちを弁明する者もいないので、彼の怒りは山火事が燃え広がるかのように際限がなかった。

  この晩、隆三は貫一に食後の茶を勧めた。一人では寂しいし、彼を引き留めて話でもしようということだ。しかし、貫一は屈託した表情で、どこか心ここにあらずな様子。
「おまえ、どうかしたのか。ん? 元気がないじゃないか」
「はあ…少し胸が痛みますので」
「それは良くないな。ひどく痛むのかい」
「いえいえ、もう大丈夫なんです」
「じゃあ、茶を飲むかい?」
「いただきます」

  こんな浅ましい怒りを表に出して人に喋るのはとんでもないことだからと自分を制して、部屋に籠って中途半端に心痛に浸るよりかは、人と話してしばらくでも憂鬱を忘れてしまうに越したことはないだろうと思い、貫一は努めて寛ごうとした。けれども気を抜くと心は上の空になって、隆三の言っていることも聞き逃しそうになる。

――今日来たメールに、細々と心優しいことが書き連ねてあったなら、俺はどれほど嬉しかったか。普段一緒にいて飽きることもなく顔を見ていたのと引き換えに、文面を繰り返し読む楽しみってものができただろうに。家を出て行った恨みも忘れて、二晩三晩遠ざかってしまった悲しさも、その文面を慰みに思い続けることだってできただろうに。
  あの人はふらりと出て行ったけれど、それをどれだけ俺が無念に思っているのか、よくよく思い知るべきだ。既に思い知っているならば、もっとちゃんとした連絡をくれてもいいじゃないか。その一声が俺をどれほど喜ばせるか、宮さんだって判ってるくせに…
  俺を愛しいと想う人が、何の理由があってそうしてくれないんだろう。こんなに愛情の薄い恋が世の中にあるかい? 怪しい…マジ怪しい――
  とまあ、貫一の心中はまた乱れていたのだが、隆三の声に驚いて、彼はたちまち我に返った。

茶

「ちょっと話したいことがあるんだが…いや、まったく妙な話だが。な?」
  笑うでもなく、眉を顰めるのでもなく、やや自嘲するかのように見えた隆三の顔は、灯りに照らされて普段見せない人相のように貫一には感じた。

  彼は長い髭をせわしなく揉むようにして、顎のあたりをゆっくり撫で下ろしながら、切り出す言葉を考えていた。
「お前の今後についてなんだが…」
  こう言っただけで、また彼はためらう。その髭は虻(あぶ)を追い払おうとする馬の尻尾みたいに揺すり振られた。
「いよいよお前も今年卒業だったな」
  貫一はにわかに襟を正される気持ちになって、崩していた足を揃えた。

「で、わしもまあ、ひと安心したというもので、幾分かはこれでお前の父さんに対して恩返しができたというわけだ。ひいてはお前もますます勉学に励んでくれないと困る。この先、大学院を卒業して、それから社会に出て、相応の地位を得るまでになってもらわねば、わしも鼻が高くはならない。
  そこで留学のひとつでもさせて、指折りの人物に仕上げたいと考えているくらい、まだまだこれからひと肌もふた肌も脱いで世話をせねばならん。うん」

  これを聞く貫一は、鉄の鎖で縛られたように身体が締め付けられ、心苦しさを感じた。その恩のあまりの大きさに、彼は渦中にいながらも、普段はその中にいることを忘れようとしていた自分を反省した。
「はい。大変なご恩に預かって、考えてみても口ではお礼の申しようもありません。親父がどれほどのことをしたのか知りませんが、こんなご恩返しを受けるほどのことをしたとはなかなか思えないくらいです。
  親父のことはさておき、私は私でこのご恩は立派にお返ししたいと思っています。親父が死んだあの時に、こちらで引き取っていただけなかったら、私は今頃どうなっていたか。それを思うと、世間に私ほど幸運な人間はおそらくいないでしょう」

  十五の少年がここまで大人になった我が身を見て、着ている服を見て、座っている座布団を見て、そしてやがて美しいお宮とともにこの家の主人となるであろう自身を思うと、貫一は涙が出てきた。
  まったく実に、一億四千万円ものドレッサーを持参金にして、数十億出しても手に入れられない価値のある恋女房を得た学士なのだ。彼は少量買いの米をレジ袋に提げて、影のように痩せ細ったイヌと一緒に月夜の道を走る少年のような立場でしかないのに。

「お前がそう思っていてくれると、わしも張り合いがあるってもんだ。ついては、改めてお前に頼みがあるのだが、聴いてくれるか?」

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