カンタンに読める!金色夜叉/現代版

お宮の来訪に動揺する貫一
湧き上がる感情は怒りと…

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続金色夜叉第6章-2-

 取り縋るお宮

  お宮は念願叶って対面できた嬉しさやら悲しさやらが入り混じって心乱れ、泣き伏せってしまった。
「何の用があって来た!?」
  貫一は今、怒るべきか、それとも恨むべきか。侮辱するべきか、悲しむべきか、叫ぶべきか、罵るべきか、責めるべきか。彼の中で一瞬のうちに、万感の思いが相乱れた。あまりに突然のできごとだったために、冷静でいられず、身を震わせていた。
「貫一さん、どうか赦してください」
  お宮はようやく顔を振り上げたが、顔色を凄まじく変えた貫一の表情を直視できず、萎れるように再び伏せてしまった。

「早く帰れ!」
「……」
「お宮!」
  何年も聞けなかったその声。お宮は恐々としつつも、懐かしさに堪え切れず視線を彼に移した。鋭く見据える貫一の眼が潤んでいたのは、どんな理由の涙を催したからであろうか。
「今更お互い、会う必要はない。それにお前だってどのツラ提げて会うつもりなんだ。先だってから頻りに手紙を寄越して来るけれど、あれは一通すら封を開けてないんだ。届いた端から焼き捨ててしまうのだから、今後絶対に送って来ないでくれ。
  俺は今、体調が良くないんだ。こうして相手するのも難儀なのだから、早く帰ってくれ」
  彼は家政婦を呼び、
「客が帰るから、見送ってさしあげて」
と伝えた。思い悩むお宮をよそに、取りつく島がない彼は早くもひとり席を立とうとした。

「貫一さん、私は今日、死んでも良いつもりで会いに来たんです。だからあなたが気の済むよう、私をどんな目にでも遭わせてください。その前にとにかく今日だけは目を瞑って、お願いですから私の話を聞いてほしいの」
「何のために!」
「私はとことん後悔したの! 貫一さん、私は今になって後悔しました!
  詳しいことはこの間からの手紙に全部書いてきたのだけれど、全く見ていないというのなら、後悔している私がどんな切ない思いをしているか、判るはずもないじゃないの。
  実際に会っても口では言えないことばかりだし、読むに値しない私の文章でも、あれを全部読んでいてくれていたら、少しは怒りも静まるんじゃないかと私は思うの。
  色々お詫びはするつもりでも、こうして対面してみると面目がないやら悲しいやらで、一言ですら言えない私ですけれど、貫一さん、とても顔を出せるはずじゃない場所へこうして来たからには、死ぬほどの覚悟をしたのだと思ってください」

「それがどうしたってんだ」
「こうまで覚悟を決めて、是が非でも話をしたいことがあるのよ。迷惑でもどうか、どうか貫一さん、とにかく話を聞いて」
  涙ながらに手を揃え、貫一の足元に額を擦りつけて頼みこむお宮。どうすりゃいいんだと言いたげに彼女を見遣る彼――
「六年前の一月十七日。あの時を覚えてるか」
「……」
「どうなんだ?」
「忘れやしないわ」
「うん、あのときの俺の気持ちを、今日お前が思い知るんだ」
「赦して――」

  その隙を突いて、貫一は部屋から出て行った。ドアは鉄壁よりも固く閉じられた。お宮は心に張り詰めていた希望を失い、ひれ伏してしまった。
「豊さん! 豊さん!」
家政婦を激しく呼ぶ声が遠くの部屋から聞こえ、じきに廊下を急ぎ足で歩く音が響いた。戻って来た家政婦が客間に姿を見せた。
  お宮はまだ顔を伏せたままだった。しおらしく束ねた髪が垂れ、黄色く染めたスカーフはズレてしまって、うなじが深くまで見えている。
  淡いパターン柄のブラウスに薄手のカーディガンを重ねた品のある着こなしに、小さくうつ伏せになった背中は震え、真っ白のハンカチで涙を拭くその指には、赤と白の宝石が載ったリングが輝いていた。
  何かドラマのワンシーンでも見ているような気分になった家政婦は、この美人の客の身の上に何が起きたのか、恐ろしさすら感じたのだった。

「あの、申し訳ありませんが、体調を悪くしていまして、あいにく急に気分が悪くなったため、失礼ながら中座致しました。恐れ入りますが、今日の所はこれでお引き取り願えませんでしょうか」
  頬を押さえたままお宮は涙をすすった。
「…ああ、そうですか」
「折角おいで下さったところを、大変恐縮ですが――」
「ただ、ちょっと帰り支度がありますので、もう少々居させてもらいますね」
「ええ、それはどうぞご遠慮なく。また何だか降り出してきました。初夏だというのに今日は冷えますわね」
  家政婦が立ち去った後、彼女は帰り支度をするわけでもなく、ただそこにあるだけの存在かのように、うち沈んだままでいた。

顔を伏せて泣く

  やや時間が経ち、客が立ち去る気配がしたので、家政婦が再び姿を見せた。お宮は身づくろいをしながら彼女に尋ねた。
「それでは失礼いたします。間さんにちょっとご挨拶だけしておきたいのですが、どちらのお部屋にいらっしゃいます?」
「はい、あの――何といいましょうか。どうかもうお構いなく――」
「いいえ、ご挨拶だけ、ちょっとだけですから」
「そうですか――では、こちらへ」
  家主の本意ではなかろうと思いながらも、家政婦はやむを得ず彼女を部屋に案内した。

  ベッドメイクも済んでいない状態の寝床に、貫一は着替えもせずぶっ倒れていた。だらしないスウェット姿のまま、何度も寝返りを打ったであろう枕の端っこには、辛うじて彼の頭が載せられていた。
  思いもかけずお宮が入室してきたのを見て、彼は起き上がろうとした。それより速く、彼女は膝元へ駆け寄った。彼も立とうとするが、彼女が服をぎゅっと掴んで離さない。なおも必死で寄り添っては、物も言わず泣き伏してしまっているではないか。
「ええい、何の真似だ!」
「貫一さん!」
  突き返そうとする彼の手を、彼女は両手で抱き締めて叫んだ。
「何をするんだ、この恥知らずが!」
「私が悪かったの。だから赦してちょうだい」
「ええい、うるさい! 手を放せ!」
「貫一さん――」
「放せと言ってるだろうが、もう!」

  身体を盾にして絶対放すまいとお宮が踏ん張ってますます取り縋り、ふたりの顔は互いに息が触れるかというばかりの距離になった。
  二度と逢うことはないと誓ったその人の顔が、すぐ眼前にある。
――あの頃の雰囲気はとっくに無くなって、誰のせいなのか、今はまた違った色っぽさに包まれている。それでも見た目はあの頃のまま。
  俺はあのお宮に、でもあのお宮ではないお宮と、今こうして顔を突き合わせている。なぜだ――!?

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