カンタンに読める!金色夜叉/現代版

女王の称号を得たお宮
そこに一人の男性が…

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前編第1章-2-

 美しきお宮

  奥の十畳の客間と八畳の部屋をぶち抜いた広間は、十箇所に真鍮の燭台を据え、200g近くあろうかと思われるキャンドルが明々と燃えていた。さらに天井にはいくつもの白銅でメッキされた電灯を点けていたので、部屋は真昼間より明るい。人の顔が眩しいほど輝いて見える。

  三十人以上いる若い男女はふたつに分かれて輪を作り、やいのやいのとカルタ遊びに夢中になっていた。キャンドルの炎と暖炉の熱と大勢の熱気は、この広間の中でタバコの煙や油煙と互いにもつれ合いながら、渦巻き立ち迷って行き場を失くしている。
  そんな状態であるから、人々は顔を赤くして、化粧崩れしている者もいるし、ヘアスタイルが崩れている者もいる。服だって着崩れているどころではない。
  特に女性は気負って着飾って訪ねてきたものだから、取り乱したのかと思われるほどに酷いのだ。男だってシャツの腋が裂けて、ベストのようになってしまっているのにも気づかない者がいる。ローライズがずれてしまってすっかり尻を出している者までもいた。

  これほどの息苦しい籠った熱気も、咳きこんでしまうほどの煙の渦さえも、皆が皆、夢中になっていて気付きもしないのだ。むしろ、狂喜して罵り喚く声、爆笑、言い合い、地団太、一斉に発せられるどよめきなど、絶え間ない騒動の中で戯れ遊ぶこの体たらくは、人のあるべき姿とはまるで程遠い。阿修羅が住む、争いや怒りの絶えない世界をぶちまけたかのようであった。

  海で嵐に遭遇したとき、油を少量でも航路に注げば、波は不思議とすぐ穏やかになって船は九死に一生を得るのだという。今、どうにもこうにもならない乱痴気騒ぎの座中で、その油の力のごとく場を支配する女王がいた。
  暴れ馬のような男どもの心だって、その女王の前では大人しくなって、仕舞いには崇拝の念に変わるのだ。女たちも女王を嫉みながらも畏れている。

  広間の中央の柱の脇に身を寄せ、アップに纏めた夜会巻きに薄紫のリボン、ガーネットのジャケット姿。この騒ぎを興味深くも涼しい目で眺めながらも、立ち混じらず淑やかに澄ましている若い女性がいた。輪郭からパーツまで水際立って美しく、媚を含んだ表情ゆえか、彼女を初めて見る者は売春婦がめかし込んでるんじゃないかと皆疑った。

  そう。カルタの一番勝負が終わるまでには、その場の全員がお宮の名を覚えたくらいなのだ。もちろん女性はたくさん居たのである。その中にはなんだこりゃというレベルの者もいないではなかったが、結構可愛い女性もいたのだ。服装だってお宮より数段高価なものを着ている者も多くいた。彼女はその点においては普通レベルに過ぎない。
  参議院議員の娘だとか言うとんでもないブサイクが一番キラキラと飾り立て、いかり肩に襞を重ねたドレス姿で来ていた。そのベルトにはこれでもかと金の糸で百合の花枝を装飾してある。目も当てられぬ飾りようなので、皆ドン引きだ。

ドレスの女性

  このほか、さまざま煌びやかな衣裳が立ち混じるので、お宮の装いなぞはわずかな夜明けの星の弱い輝きに過ぎないのだが、彼女の肌の白さはどんなに美しい服の色でもくすませてしまう。そして整った顔立ちは麗しい織物より美麗なのだ。ブサイクな人たちがどれだけ着飾ろうがブサイクを隠すことはできないように、すっぴんでアクセサリーを付けないでいても彼女の美しさは変わりはしない。

  部屋の隅にある暖房を囲んでオレンジを剥きながら語っている男性のひとりは、彼女の横顔を遠くからほれぼれと見入っていたが、ついに我慢できなくなったのか呻いた。
「イイね、イイ。すんごくイイ! 馬子にも衣装とは言うけれど、美人に衣裳は要らないね。そのものがキレイなんだから。服なんかどうでもいい、何も着てなくていい」
「裸だとなおイイんだろ」
強く賛同したのは美術学校の学生であった。

  車で急いで駆けつけた男性は、しばし休息したあと、奥さんに導かれて広間に入って来た。その後ろには、今までリビングに潜んでいた家主の箕輪亮輔(みのわりょうすけ)も付き添っている。
  広間は戦場の最前線とばかりに入り乱れている状態だったため、彼らの入場に気付いた者はほとんどいなかった。それでも片隅で語り合っていた二人は、いち早く視線を逸らして男性の風采を眺める。

  広間の灯りは部屋の入口に立つ三人の姿をはっきりと照らしていた。色白の背の低い奥さんの口はイライラして歪み、その夫の後退して禿げあがった頭は滑らかに光っている。奥さんが人より小さいのとは対照的に、夫はよくよく肥えていた。それに常に気配りを欠かさぬ表情をしている。生きながらにして布袋様を見るかような、福のある顔相だ。

  もうひとりの男性は年齢が二十六、七くらい。背は高く、ガッチリした体格で、肌は玉のようでありながら、頬のあたりは薄く色づき、額は広く、口は大きく、頬骨が左右に出っ張っているため、面積の広いその顔はやや正方形に近い。緩くカールした髪をきっちり固めている。薄く口髭を生やし、小さくはない鼻には金縁の眼鏡が掛かっていた。黒い厚手のジャケットに、パターン柄のパンツは裾長。ベルトにゴールドのチェーンを垂らし、落ち着いた様子で顔を上げて広間を見まわすその風貌は、辺りに光を放つかのようである。この広間に彼ほど色白で清潔感があってオシャレな男は、全く居なかったのだ。

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