カンタンに読める!金色夜叉/現代版

突然の旧友との再会に
貫一はどう動くのか…?

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中編第6章-2-

 風早の説得

  ちょうどそこで襖がガラリと開いて、ふと貫一が顔を上げたその先に二人の男性がのっそり入って来た。案内されずとも席が決まっていたかのように着座する。彼らが妙に得意顔なのは何か魂胆があるに違いないと思いつつ、貫一は少し姿勢を崩して座り直した。男たちは二手に分かれて二人の間に座っていたので、貫一は丁重に一礼した。
「どうもさっきから、どこかで見たような男だと思っていたら間君じゃないか」
  蒲田に続いて風早も声を掛ける。
「あまりに見た目が違うから別人かと思ったよ。久しぶりだな」

  貫一は愕然として二人の顔を見詰めた。すぐに身体の内が煮えたぎる感覚に溢れ、彼らが誰であるのかを思い出したのである。
「これは珍しい。誰かと思えば蒲田君に風早君。久しく会わなかったけれど、変わりないようで」
「その後、どうしてるんだい。何か変わった商売を始めたようだね。儲かるでしょう?」
  貫一はほくそ笑んで答える。
「儲かりもしませんが、間違ってこんなことになったんですよ」
  彼の全く恥じない顔を見て、二人は心密かに呆れた。侮って掛かっていた風早も、これは一筋縄ではいかないぞと考え直す。
「儲かりゃいいんだから、そりゃ何を始めたって構わないが、しかし思い切ったことを始めたもんだね。キミの性格でよくこんな商売ができたもんだと俺は感服したよ」
「真人間にできる仕事ではありませんね」
  これこそまさしく真人間ではない人の言葉。二人はこの恥知らずの老け顔を憎らしく感じたのである。

「酷い言葉だ。それじゃまるでキミが真人間じゃないかのような言い方じゃないか」
  蒲田がそう返すと、貫一はさらに続けた。
「僕のような者がなまじっか人の道を守って過ごしていたら、とてもではないがこの世の中を渡ることはできないのだと悟ったんで。大学院を辞めると同時に人間も辞めてしまって、この商売を始めたってわけですよ」
「しかし真人間のころの友人であった僕らに、こうして会っている間だけは、やっぱり真人間でいてもらいたいね」
  風早は親しげに笑った。

冷たい目線

「そうそう、そういえばあの頃、やいのやいの言われてた何って言ったかな、そう、キミのところに居た美人」
  蒲田が尋ねるも、貫一は知らぬ存ぜぬのふりをした。
「おおおお。あれ? さあて、何て名前だったっけ」

  旧友の登場に表情ひとつ変えなかった貫一も、ここに至っては多少動揺せざるを得なかった。
「そんなつまらないことを…」
「今はあの美人と一緒かい。羨ましいね」
「もう昔話は止めて下さい。それでは遊佐さん、これに印鑑をお願いします」
  貫一はペンを取り出して、手形の用紙に金額を書き入れようとした。

  すぐに風早が見咎める。
「ああ、ちょっと。その手形はどういうものなのだい」
  貫一は簡単に内容を述べた。
「なるほど、そういうことか。とはいえ、少し話をしたいんだ」
  風早は言葉を続けた。蒲田はしばらく助太刀せずに黙ったままだ。皺枯れ声の風早がどんな弁を繰り出すのか聴こうと、タバコに火を点けて居丈高に腕組みして控えていたのである。

「遊佐君の借金だが、これをどうか特別な扱いにして欲しいんだよ。キミだって仕事なんだから、こちらも迷惑を掛けたくはない。しかし昔の友人の頼みだと思って少し考えてもらいたいのさ」
  無言の貫一。風早もしばし黙っていたが、再度尋ねた。
「どうだ?」
「考える、と言うと?」
「つまり、キミのほうに損害が出ない限りは金額を負けてもらいたいんだ。知ってのとおり、もともとこの借金は遊佐君が連帯保証人になって、実際人から頼られて印鑑を貸しただけの話だったのが、図らずも焦げ付いてできたモノだろ。
  そりゃ貸主の立場からすればそんな事はどうでも良くって、取り立てる者は取り立てるんだって理屈はよく判る。だから今更そこをグダグダ言うつもりはないよ。
  しかしだ。友人の立場から遊佐君を見ればだ。とんだ災難に罹って、いかにも気の毒じゃないか。そこへ予期せぬことに貸主がキミだって言うんで、九死に一生を得る気持ちで僕らが中に入った。だから今、僕らは金貸しの鰐淵の代理と話をしているのではなく、昔馴染みの間君として話をしているのさ。無理は承知の頼みだけれど、聴いてもらいたいのだ。

  かねてから話は聞いているが、あの六百万に関しては借主の遠林(とおばやし)が、これまで三回、五百四十万の利息を払っている。それから遊佐君からも百八十万だ。合わせて七百二十万のカネが既に支払われているんだろう?
  こうして見るとキミの方には既に損はないわけだ。だからこの六百万の元金だけを遊佐君の手で返せばよいということにしてもらいたいんだよ」

  貫一は冷ややかに笑った。風早は構わず続ける。
「そうすれば遊佐君は七百八十万払うわけだが、これだって一円も自分で使ったカネじゃないのに払わねばならないんだから、随分ツライ話だ。キミにしたって、まだまだ利益が出るのをここで見切ってしまうのだからこれもまたツライ。
  そこで双方のツラさを較べてみるんだ。キミのほうは六百万のモノが一千三百二十万になっているんだから、丸儲けで面子も立つ。こっちは七百八十万、まるっと損だ。ここを酌量して欲しいんだよ。な? 特別の扱いで」
「まるで話にならんね」
  秋の日は短いと言うがごとく、貫一は手形の用紙を取り上げて、容赦なく約束の金額を書き入れた。一斉に彼の顔を注視した風早と蒲田の目は、次に互いを見て怒りの色を帯び、再度貫一へと厳しく向けられる。
「どうかそういうことにしてくれよ、頼むよ」
  風早の懇願を遮って、貫一は遊佐に向き直った。
「それでは遊佐さん、これに印をお願いします。期限は十六日。よろしいですね」

  この傍若無人な振る舞いに蒲田は既に堪え切れない様子であったのだが、風早が目配せで制した。
「間君、まあ少し待ってくれよ。恥をぶちまけることになるかもしれんが、この借金は遊佐君には荷が重すぎる。利息を払うだけですらやっとなんだから。長々とこの責め苦を背負った結果、身を滅ぼしてしまうかもしれない。全く人生生きるか死ぬかの大大事なんだよ。だから僕らも非常に心配しているんだけれど、力不足でどうにもしてやれないんだ。借金の相手がキミであったのが不幸中の幸いなのさ。
  昔馴染みの僕らを救うと思って、ひとつ頼みを聴いてくれないか。まるまる損をさせようって言っているんじゃないんだから。決してそう無理な頼みではないと思うんだが。どうだい?」
「僕は鰐淵の代理なので、そういう話は致しかねるんですよ。遊佐さん、では今日はまあ六万ほど頂戴するってことで、ここに印鑑を早く…」

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