カンタンに読める!金色夜叉/現代版

感情昂る満枝が
ついに爆発する?

目次 > 続金色夜叉 > 第7章 1 / 2 / 3 / 4

続金色夜叉第7章-3-

 逆ギレ

「では必ずおっしゃってくださいね。間さん、あなたは私のことをうるさい女だと思っているのでしょ。私だって終始そうだろうと思いながら、あなたの迷惑を省みずにやっぱりこうして付きまとっているのはですね、自分の口からこんなことを言うのもおかしな話ですが、私、本気であなたのことを片時も忘れたことがないんです。
  どうしてなのかしらね。元々あなたは私のことを嫌い抜いてますよね。ほら、あの和歌があるじゃないですか。
  『行く水に数画くよりも儚きは 思はぬ人を思ふなりけり(流水の上に数を書いても瞬時で消えるので儚いけれど、自分を思ってくれない人を思うことはもっと儚い)
  この歌、ホントその通りで、流れる水に数を書くようなものでしてね。私の願いが叶うことなんて、到底ないのでしょう。そうだと判っているのに、それでも、間さん、私、こればっかりは諦め切れないの。
  こんな女に惚れられて、さぞかしご迷惑でしょうけれど、私がこれほどまでに想っているということは、あなたもご存じでしょうに。私が熱心にあなたを恋慕しているという意味ですよ。判るでしょう?」

「そうですね…そりゃまあ、或いはそうかもしれませんが…」
「何の寝言をおっしゃっているんです。『或いは』も『そうか』もありません! そうじゃなければ私、あなたに何も鬱陶しがられる筋合いはありませんわ。あなたが私を鬱陶しいと思っているのが現に何よりの証拠で、しつこくて困ると迷惑しているくらいには、私の本気を承知してくださっているに相違ありません」
「それは、まあ、そう言われてみればそんなもんかもしれませんね」
「あなたから嫌われ抜いているにもかかわらず、こんなにも私が想っているということは、よーくご理解していらっしゃるんでしょ?」
「そうですね」

「で、私、これまで色々申し上げてきましたけれど、間さんはちょっとでさえ聞き入れてくれたことはありませんでしたよね。それは表面上の理屈から言えば無理なお願いかもしれませんが、私は私でちゃんと別に考えるところがあって、決してあなたが思うような人の道から外れた真似だとは思わないのです。
  それにね、仮に人の道を外した振る舞いであったとしても、人の恋路ばかりは他のこととは違ってお互いにこうだと思ったなら、そこに理屈も何も入り込む隙間なんてありはしませんでしょ?
  つまり、あなたがそれを口実にして逃げているのは、初めからお見通し。おまけにあなたも世間から偏屈だとか頑固者だとか言われている身ですから、なるほど、手ごわい片意地なところもあって、色恋のことなんかには頓着しないんだわ、だから私の気持ちも汲んでくれないんだわ、とあれこれ考えたりしてね。私、あなたの頑固さを歯がゆく感じてたのです…ところが!」

  そう言い終わるか終わらないかの瞬間、満枝はスマホを掴むと、貫一の横膝を力一杯叩いた。
「何をするんだ!」
  貫一が手で払っても払っても、手といわず膝といわず、満枝は手当たり次第に叩き続ける。彼は何だこりゃと驚くも避けることができず、三発四発叩かれていたが、ついに彼女の手を抑えて両手を塞いだ。
  しかしうつ伏せに取り押さえられてなお、彼女は無言で彼の腿のあたりに噛みついてきた。なんて女だと怒りの余りに手荒く突き放すも、取り縋っては顔を擦り付けてむせび泣き出す始末。
  何がなんやら不思議な体たらくに、彼はただただ呆れて言葉も出ない。ようやく泣き続ける彼女を押しのけようと力を込めてみたものの、接着剤で固めたかのように取り縋ったままで、ますます鳴き声が大きくなってしまった。涙が衣服を滲みて、このつれない男の肌にまで伝わってゆく。

  放っておいてもどうにもならんとばかりに、貫一は容赦なく振り捨てて起き上がろうとするが、満枝はそうはさせるかと纏わりついて、またも泣き顔を擦り付けた。もう我慢できないとばかりに、
「何をするんだ! いい加減にしろ!」
  と声を上げるも、彼女は声を発しない。
「もう早く帰りなさい」
「帰りません!」
「帰らない? 帰らないのならそれでも良い。もう明日からは出入り禁止にするから、そのつもりでいなさい」
「私、死んでも来ますから!」
「今の今まで我慢をしてたが、もう我慢できない。赤樫さんに会って、あなたのことを全部話してやるよ」
  彼女はここに来て初めて涙に濡れた顔を上げた。

泣く女

「ええ、話して下さい」
「――」
「赤樫にバラしたところで、それでどうしようって言うんです?」
  貫一は歯を鳴らして声を張り上げた。
「あなたは…マジで根性座ってるなあ! 赤樫はあなたの何なんですか!」
「間さん、あなたこそ赤樫のことを私の何だと思ってらっしゃるのですか?」
「けしからん!」
  彼は憎たらしい女の頬をぶん殴り頭をかち割ってしまいたくも、それができないことを恨んだ。
「赤樫を疑いようもなく私の夫だと思ってらっしゃるのでしょうが、あれは決してそういうわけじゃないのです」
「それなら何ですか?」

「いつだったかお話をしましたが、私は赤樫に金の力で無理矢理奪われて、ついにこんな身体にされてしまいました。いわば私の仇も同然なのです。
  なるほど確かに他人は私たちを夫婦だとでも思っておられましょうが、私にはそんな気はさらさらありません。ですから自分が好きになった人に惚れて騒いでいるぶんには何ら差支えがない独身同然の身なのですよ。
  間さん、赤樫に会ったときには、『満枝のヤツが俺に惚れて惚れて仕方ない。家で家政婦代わりにでも使ってやるからそう思ってろ』と言ってやって下さい。豊さんのお手伝いでもして、一生あなたと添い遂げますわ。大体あなたは赤樫に言いつけるとでも脅せば、私が震え上がって怖がりでもすると思ってたのでしょうが、驚きもしないし怖くもないわ。むしろ勝手な言い草に聞こえるでしょうが、却って赤樫のほうが途方に暮れるだけだと思うのです」

  貫一は二の句が継げなかった。満枝はしてやったりと言葉を続ける。
「実際そうなのですから。もしも話がひとつ間違って面倒な事態になってしまったとき、困るのは私じゃなくてむしろ赤樫になることは判り切っていますから。私を遠ざけようとして赤樫に話を持ち掛ける真似なんて無駄なのです。赤樫が私を恐れることはあっても、私がアレを恐れることは全くありません。
  けれどもせっかくそう思うのなら、物は試しですから、間さん、あなた、赤樫に話してみてごらんなさいよ。私もあなたのことを吹聴しますわ。ああいう夫ある女性と関係を持って、始終人目を忍んで逢引きしてらっしゃることを言い触らしますから。それであなたと私、どっちがダメージ大きいか較べっこしましょうよ。どう?」

「男勝りの頭脳で名を馳せるあなたらしくもない。所詮は女の浅知恵だ」
「何ですって?」
「まあ聞きなさい。男と女が会って話をしていれば、それがすなわちイコール逢引きになるのですか? まして女が妙齢ならば、そんなものは人妻だと相場が決まっているじゃないですか。浅はかな邪推にせよ、人を馬鹿にするのにも限度がある! 失礼千万だ。口の利き方に気を付けろよ」
「間さん、ちょっとこっちを向いて」
  手を掴んで引っ張るが、貫一は振り解く。
「何なんだ、あんたは」
「面倒な女だと思ってるんでしょ?」
「もちろん」

「私、これからもっともっと面倒臭くなりますよ。で、あなた、今何て言ったのです? 浅はかな邪推ですって? あなたこそもう少し気を付けて口を利いたほうがよろしいんじゃないかしら。
  あなた、男でしょ。だったらどうして堂々と『その通りだ。恋人がいることのどこが悪い?』とぶつけてこないのです? 間さん、私、あなたに向かってそんなことをああだこうだと申し立てる権利なんか無い女なのですよ。どれだけその権利を持ちたくても、手に入れることができずにいるのです。
  それに何も私に遠慮して、そうムキになってて隠さなくても良いじゃありませんか。

  私ね、リアルでこんな女なのです。あなたが余所で何百人の恋人がいようとも、それで愛想を尽かしてあなたを諦めるような、そんな浮気な考えじゃありません。
  加えてあなたの迷惑になる秘密を洩らしたところで、私の叶わぬ願いが叶う訳でもないのでしょうし。どう思っておられるのか知りませんが、私、それほど卑怯な女じゃないつもりです。
  世間に吹聴してあなたを困らせるだなんて言ったのは、ほんの冗談。私、絶対そんなことしようとは思いませんから、安心して下さいね。気分を悪くなさらないで。つい口が過ぎただけ。許してくださいね。この通り、謝りますから」
 満枝は惜しむことなく低姿勢になり、貫一の前で頭を下げた。そのしおらしさに貫一はどうして良いのか判別できず、首筋をそっと掻くしかなかった。

次回更新へつづく