カンタンに読める!金色夜叉/現代版

別れ話を切り出す男
そして抵抗する女

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続金色夜叉第5章-2-

 男の説得

「俺も婚約を破談になんてする気は全くないけれど、これに関しては俺の方から断るのが筋だから、悪く思わないで欲しいんだ」
「ううん…イヤ…私…断られるわけにはいかないわ」
「しかし俺と結婚すると、鈴さんの肩身も狭くなる。生涯に渡って何だかんだと人から言われなきゃいけない。それじゃ気の毒だから、俺は自ら身を退いて、もはやこれまでの縁だったと諦めることにしたんだよ。でもね、鈴さん、俺は鈴さんの気持ち、絶対忘れないよ」
  女はただただ咽ぶだけだった。音も立てず顔を伏せたままだった貫一は、そおっと立ち上がって隙間から様子を覗き見しようかと思ったが、しかし動かず。けれどもその声色には、どうも聞き覚えがあるように感じた。

  その男は鰐淵の家に放火した狂女の息子で、私文書偽造等罪の咎で一年の苦役を受けた飽浦雅之(あくらまさゆき)じゃなかろうか。まさしくそうだ。女が「雅さん」と名前を呼んでいたじゃないか――
  ひとり頷きながら彼はまた密かに聞き耳を立てた。
「たとえ嘘でも私の気持ちを忘れないって言ってくれるくらいなら、やっぱり約束通り結婚してよ。雅さんがああいう災難に遭ったが為に縁を切るつもりなら、私は、雅さん…願掛けで一年間塩を一切摂らないなんて真似はしなかったわ」

  雅之は苦しかった一年を思って涙を流した。
「雅さんが利己的な悪事を働いてあんな結果になったわけじゃなし、闇金のヤツに騙されて無実の罪に堕ちたのは、雅さんにとって大災難だったわ。私だって雅さんと同じくらいに悔しい。
  悔しい、悔しいと思うことはあっても、それで雅さんの経歴にキズが付いたからって、一緒になるのが迷惑だなんて私がいつ思ったって言うのよ!
  雅さん、私はそんな女じゃないわ。そんな女じゃない!」
  私の気持ちを判ってない!と感情が極まって悶え嘆く姿が手に取るようにひしひしと伝わってくる距離で、貫一は突っ伏したまま頭を擦りつけ、消えてしまったタバコを指に挟んだまま動かなかった。

「雅さんが私のことを判ってないって思うのは、雅さんが刑に服している間の私のことを全く知らないからよ。私、三ヶ月も寝込んでたのよ…
  そんな事も雅さんは知らないでしょう。そりゃね、お父さんやお母さんに私を雅さんに嫁がせる気がないにしても、私には私の考えがあるの。ああいうことがあったせいで雅さんの肩身が狭くなるようならば、私はなおさら雅さんのところに行かないといけないの。だって、私も雅さんと一緒に肩身が狭い思いをしたいんだもん。
  そうでなけりゃ、子供のころからあんなに可愛がってくれた雅さんのお母さんに申し訳が立たないわ。
  親が承知しない縁談を私が押し通すのは、そりゃ親不幸な話かもしれないけれど、私はどうしても雅さんと一緒になりたいんだから、私をイヤじゃないのなら、受け入れて欲しいの。私の事情は考えなくていいから、雅さんが私を貰ってくれる気持ちがあるのかないのか、それだけを聞かせて」

  貫一は身体を捩って、逆の腕で肘枕をした。彼は自身が男に与えた不幸のことよりも、彼に寄り添う女の悲しみよりも、まずその女の意気盛んな点に感じ入った。ああ、世の中にはこれほどまでに切ない恋心が燃える真実の愛もあるのだなと、気はたぎり、胸が高鳴った。
  再び男の声がする。
「それは鈴さん、言うまでもないことだよ。俺もこんな目にさえ遭わなきゃ、今頃は家族三人で睦ましく笑って暮らしていられるものを…と思えば尚のこと、今日の別れが何とも言えないくらいに情けないさ。
  こうして今じゃ世間に顔向けもできない身に堕ちた男を、そんなにまで言ってくれるのは、この世の中に鈴さんひとりだと思う。そんな優しい鈴さんと一緒になれるなら、これほど結構なことはないけれども、小父さんや小母さんの立場にもなってみたら、今の俺に嫁がせられないのは決して暴論でも何でもないよ。子を思う親の情は、どこの親だって変わりはないんだ。
  そこを考えればこそ、俺は鈴さんのことを諦める。子が親に苦労を掛けるのは、親不孝どころの話じゃないよ。悪事だよ。立派な罪だ。
  俺は自分の不心得から親に苦労を掛けて、それゆえに母さんもああいうことになってしまったんだから、実際俺が手に掛けて殺したも同然。その上さらに俺が原因で鈴さんの親御さんにまで苦労を掛けてしまうことになる。人の親までも殺すのと同然じゃないか。
  だから俺も諦めきれないところを諦めて、将来社会復帰できるよう、しばらく暗い世界に居るつもりで精一杯努力するよりほかはない。そう俺は覚悟してるんだよ」

揉める男女

「それじゃ雅さんは、うちのお父さんやお母さんのことをそこまで考えてくれていても、私のことはちっとも思ってくれないってことね。私がどうなろうと、雅さんは構ってくれないのね」
「そんなワケないじゃないか! 俺だって…」
「ううん、いいの、もういいのよ。雅さんの心は判ったから」
「鈴さん、それは違うよ。それだと鈴さんは、全く俺の心を酌んでくれていない」
「それは雅さんでしょ。お父さんやお母さんのことをそこまで思ってくれるほどなら、本人の私のことだって思ってくれても良さそうなものじゃない。雅さんのところに嫁ぐと決まって、そのために結婚準備だって済ませたのに、今更破談で他へ嫁げだなんて、どれだけ酷いことか、雅さんも考えてみてよ。お父さんやお母さんが承知しないからって、それはあんまりってものでしょ! 勝手過ぎる! 私、死んでも他の人に嫁いだりしないから。もういい!」
  女は身を震わせて泣き沈むのだった。

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