カンタンに読める!金色夜叉/現代版

積極的なアプローチに
お宮はドキドキ!?

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前編第7章-2-

 強引な唯継

「あなたがたもお掛けください。今朝、東京から連絡がありまして、急用があるのですぐに戻るようにと――と言うのも、今度私がちょっとした会社を創るのです。外国にこちらの商品を売り込む会社を。
  これは去年からの計画でして、いよいよこの三・四月ごろには立派に出来上がるわけですので、私も今は随分忙しい身体で。なにしろ社長ですからね。
  それで、私が行かねば判らないことがあるので、呼ばれたと。翌朝にはここを発たねばなりません」
「おや、それは急な話ですこと」
「あなたたちも、一緒に発ちませんか?」
  彼はお宮の顔を盗み見た。お宮は何も答える様子はなく、母が答えた。

「はい、ありがとうございます」
「それともまだご滞在されますか。宿に居ても不自由で、面白くもないじゃありませんか。来年あたりにひとつ別荘でも建てましょう。何の訳もない、土地を広く手に入れて、そこの風流な家屋を建てるだけですし。食べ物とかは東京から取り寄せます。そうじゃないと保養になりませんからね。家が完成したらゆっくりと遊びに来ましょう」
「結構なお話で」
「お宮さんは、あれですか。こういう田舎な静かなところが好きなのですか?」

  お宮は微笑んで何も言わないので、母親が傍らから、
「この子はもう遊ぶことなら、嫌いなものなんてありゃしないんですよ」
「はははははは、誰でもそうです。それなら今後はたくさんお遊びください。どうせ毎日用事があるわけじゃないんですから、田舎でも東京でも京都でも、好きなところへ行って遊ぶのです。飛行機はお嫌いですか? ははあ、飛行機が大丈夫なら、中国やらアメリカやらを見物がてら旅をするのも面白いでしょう。日本の中なんて、遊び歩いても知れたものです。どんなに贅沢をしたと言ってもね」

「お帰りになったら、一日赤坂(東京都港区)の別邸に遊びに来てください。ええ、良い梅の木があるんです。大きな梅林を拵えてあって、一本一本種類の違うのを集めて、二百本もあるんですが、皆、価値ある老木ばかりです。ここの梅は全然ダメですね!
  こんな若い梅は、薪にするしかない。庭に植えられるレベルの花ではありませんね。これがかの有名な『熱海の梅林』だなんてがっかりですな。ぜひ我が家のをお目に掛けたいものです。一日遊びに来てください。ご馳走しますよ。お宮さんは何が好きですか? 一番好きなものは?」
  彼は密かにお宮と二人で会話することを望んでいた。お宮はなお無言で、ただ恥ずかしそうに微笑むだけだ。

「で、いつお帰りになりますか? 明日一緒に発ちませんか? こっちに長く居なければならないという訳でもないのでしょう? それなら一緒に発ってはどうでしょう」
「はい、ありがたいお話ではございますが、少々宅のほうの都合がありまして、二・三日のうちには連絡があるはずでして、それを待って帰ることにしておりますので。せっかくのお誘いですが、はい」
「ほほう、それじゃどうもなあ」

  唯継は例の驕りで天を睨むようにうち仰いで、ステッキの柄を撫で回しつつ、しばし思案する様子だったが、やにわに白いハンカチを取り出して、片手で一振りして広げて鼻を拭った。バイオレットだろうか、むせるほどの香水の香りが漂う。
  お宮も母親もその刺すような匂いに驚いた。

バイオレット

「ああ、あと、私はこれから少し散歩をしようと思っていまして。これから出て行って、川の流れに沿って田んぼのほうを。このあたりのことは知らないけれども、よほど景色が良いらしいのでね。
  ご一緒にぜひ、と思うのですが、だいぶ距離があるので、お母さんには迷惑になりましょう。二時間ばかりお宮さんをお貸しください。私ひとりで歩いてもつまらない。お宮さんは胃が悪いのだから、散歩は良い薬です。これから行ってみましょう、ね?」
  彼はステッキを持ち直して、立とうとした。
「はい。ありがとうございます。お宮、お伴をするかい?」
  お宮がためらうのを見て、唯継はことさらに急き立てた。

「さあ行ってみましょう。ええ、胃病の薬です。そう引っ込み思案ではいけない」
  唯継はそっと寄り添い、軽くお宮の肩に手を触れた。お宮はたちまち顔を紅くして、どうしていいか判らぬありさまで立ち惑っていた。母親の前であることすら憚らない男の馴れ馴れしさを憎いとまでは思わなかったものの、自分がはしたない女であるように思えて恥じ入ったのである。

  そのあどけない身に沁み渡るのを堪えられない得も言われぬ思いを汲み取った唯継の目は、にんまりとした形を作った。このあどけなく可愛らしい美しい娘の柔らかい手を握って、誰もいないのどかな野道を語りつつ歩けばどれほど楽しいだろうかと、彼は早くも夢中になっている。
「さあ、行ってみましょう。お母さんからお許しが出たんですから、いいじゃありませんか。ねえ、お宮さん、行きましょう」

  母親はお宮がまだ恥ずかしがっているのを見て、
「お宮、行くのかい? どうするんだい?」
「お母さん、『行くのかい?』なんておっしゃってはいけません。『行ってらっしゃい』と命令なさってください」
  お宮も母親も思わず笑った。唯継も遅れず笑った。

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