カンタンに読める!金色夜叉/現代版

嫉妬に駆られる老人と
めんどくさい美女の応酬

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後編第4章-3-

 面倒な応酬

  陰ではとんでもない不埒な真似をしていながら、人の口というものはこれほどまでに正論を吐くものなのかと可笑しく感じながらも、満枝は返答する。
「それはご親切にどうもありがとうございます。私はともかく、間さんはこれから美しい奥さんをもらう身ですからね。私のような者のために、ご迷惑を被るようなことになりましたら、なんとも申し訳が立ちませんし、今後はお見舞いにお伺いするのをご遠慮させていただきますわ」
「これはこれは。大変失礼を申し上げたにも関わらず、お聞き入れくださってありがたいこと。
  しかし嘘であろうと、貫一もあなたのような方とあれこれ噂されるのだから、どれほど嬉しいことか。わしみたいな老人が死ぬほどの病気をしたとしても、赤樫さんは訪ねてもくださるまいに」

  貫一は苦々しい気分で、聞いていない振りを決め込んだ。
「そんなことありませんわ。お見舞いに上がりますとも」
「そうかねえ。しかしこんなに度々来てはくださるまい」
「それこそ奥さんがいらっしゃるのですから、余りしげしげと伺うわけには…」
  言葉を濁してほほ笑む目元の媚や、ハンカチで口元を覆う恥じらいの様子に、直行はふと眼を奪われて見惚れていた。
「ハッハッハ、じゃあ貫一には嫁がおらんから、ここには安心しておいでになるってことかな。わしは赤樫さんの所に行って、報告せにゃならんな」

「はい、おっしゃってください。私がここに度々お見舞いに出ることは、主人も知っています。今だってあなたから注意を受けたとはいえ、私も色々と忙しい身体でこうやって伺っているのは、お見舞いに出向かねば申し訳ないと考える理由があるからですわ。
  それでいて、こうやってお伺いすれば間さんは却って私の訪問を面倒に思っていらっしゃるのですし。そりゃね、私みたいな者があまり伺ってはお目障りかもしれませんが、他の用事じゃなく、単にお見舞いに上がるのですから、そんなふうになさらなくても良いじゃありませんか。
  しかしそれでも私、やっぱり気に懸ってしまうので、こうして参っているのです。だって、私のところにいらした帰り道に受けた怪我でしょう。それにさらに輪をかけて申し訳ないのが、あのとき、大通りの方から帰りましょうとおっしゃったのを、私が津之守坂経由の方が近いでしょと申し上げて勧めて。で、ほら、あの災難でしょう?
  考えれば考えるほど申し訳なくって。主人も大層気にして、せいぜいお見舞いには何度も伺わねばならないと申しますので、その心持ちで毎度お伺いしているのです。
  ですから、そんなご忠告をいただくことは、私からすれば非常に心外で。間さんだって、お困りになりますわ」

  満枝はかなり辛そうな恨めしそうな、はたまた悲しそうな眼を直行に向けた。その辛く恨めしく悲しい気持ちに耐えられない風情の彼女の顔を、直行は落ち窪んだ眼がとろけるかのように眺め入っていた。
「そうかい。そうかい。経緯はよく判りましたわい。えらいご親切なことで、貫一もさぞ満足しているだろうと思います。また、わしからもそりゃ厚くお礼を申しますんで。
  で、な、お礼はお礼。今の忠告は忠告だ。悪く受け取ってもらっては困る。あなたがそれほどまでに思って毎回訪ねてくださると思えば、わしも実に嬉しい。せっかくのご厚意をな、無にするような失敬なことを言ったわけじゃ決してないんじゃ。ああ言ったのは、あなたの為を思ってのこと。いわば年寄りのおせっかいな進言だ。年寄りはこれだから嫌われるんじゃな。あなたもやっぱり年寄りはキライじゃろうに?」
  指で髭をひねりながら、直行は彼女の顔色を窺う。

「そうですわねえ…お年寄りを嫌うことはありませんが、それでも若い人同士の方が気が合うように思いますわね」
「そうじゃろうが、でもお宅の主人も年寄りじゃろうに」
「ですから、もう口やかましくてなりません」
「じゃあ口やかましくもなく、気難しくもなくなってしまったら?」
「それでも私は好きにはなれませんね」
「それでも好きになれないって? えらく嫌われたもんですな」
「もっともお年寄りだから嫌うとか、若いから一概に好きだとか言っているわけじゃありませんわ。いくらこっちが好きになっても、相手に嫌われては何の甲斐もないですもの」

「そうじゃな。けれども、あなたのような人がこっちから好きだと言ったなら、誰だってイヤだなんて言うはずもない」
「ご冗談を! どうしたものかしらね。私にはそんな経験がありませんので、一向に判りかねますけれど」
「そうかね。ハッハッハ。そうかね。ハッハッハ」
  直行は椅子が傾くほどに身を反らし、わざとらしく揺り上げて笑い飛ばした。
「貫一、どうじゃ? 赤樫さんはこう言っておられるがのう。どうじゃろうのう?」
「よく判りませんねえ、そういうことは」
  カラスの雄雌の区別を誰が知っているものか、という風情で貫一は冷然と呟く。
「お前も知らんのだな。ハッハッハ」
「私自身が知らないことを、間さんがご承知なはずありませんわ。ホホホ」

椅子で背を反らせる

  わざとらしさなら負けやしないとばかりに、満枝も笑い囃した。直行の眼は誰を見つめているわけでもなかったが、鋭く光る。
「それでは私、そろそろ失礼しますわ」
「ほう。もうお帰りですか。わしも行かにゃならんから、そこまで一緒に」
「いえ、私ちょっと、あの、上野に寄らないといけないので、申し訳ないですけれど…」
「良い良い。そこまで行こう」
「いえ、本当に今日は…」
「まあよろしいが、実はほら、あの旭座の株の件でな。あれがそろそろ纏まりそうなんで、ここで打ち合わせをしておかねば『琴吹(ことぶき)』の取り立てがにっちもさっちも行かなくなるんでな。お目に掛かったのが幸い。ちょっとその話をしたくてな」
「では明日にでもまた。今日はちょっと急ぎますので」
「そんなに急に急がなくてもよかろうに。商売の上で年寄りも若いもないのに、そうも嫌われてしまってはどうにもならんねえ」

  しばらく押し問答を続けていたが、結局直行は満枝を連れ去って行った。残された貫一は、悪夢から覚めたようにしきりに溜息をついていたが、やがて投げやりに枕に就いた。あとはどこを見るでもなく、ただなんとなく視線を投げているだけだった。

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