カンタンに読める!金色夜叉/現代版

貫一に詰め寄る満枝
そこへ闖入してきた男

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後編第4章-2-

 闖入者

  貫一がもとより無愛想なことを、満枝は判っていた。彼の無愛想っぷりが自分に対してはさらに甚だしくなることも、よく判っていた。彼女の手練手管のワザとは、今しがた感情を爆発させたように決して心のうちに秘めて仕舞い込みきれなかった類ではなく、こうして彼と諍いながらもまた同時に叶わぬ恋路の中で少しでも楽しむための手段だった。
  涙は仄かに紅くなった瞼に宿って輝き、明け方の花弁に下りた朝露のようだ。

「お宅にも病人がいらっしゃるのですから、早く帰ってあげたほうが良いのではありませんか。私も何度もあなたに来ていただくのはかなり迷惑ですし…」
「ご迷惑は端から承知の上ですわ」
「いやいやいや、まだこれ以外にも迷惑なことがあるのです」
「ああ! 鰐淵さんのことでしょうか」
「まあ、そうです」
「それだから、私、お話があると言ったじゃありませんか。それをあなたって人は、私が何か言えば鬱陶しがって。いくらなんでもそんな仕打ちってありませんわ。
  そのことならば、あなたがご迷惑を被っていらっしゃるだけじゃありませんの。私だってどれだけ困っていることか。
  この間だって鰐淵さんが嫌なことを仰ったのです。私は別段気にもしませんが、あなたがこの先ご迷惑を感じるようなことがあってはいけないと思って、私、それを心配していたくらいなんですよ」

  聴いていないわけではなかったが、貫一は応答しなかった。
「実は前々からお話をしようと思っていたのですが、そんな嫌なことを自分の口から吹聴するよりは、却って何もご存知ないままのほうが宜しいかと思いまして、申し上げずにいたのです。
  鰐淵さんがかれこれ言ってこられるのは、今に始まったことではありませんで、私、ホント困っているのです。終始適当にはぐらかしては逃げている状態でして、鰐淵さんは私があなたのことをこんなに…だなんてご存知なかったので、それで済んでいました。
  でもあなたが入院されて、私、こうして始終お見舞いに伺ってますし、鰐淵さんも繁々といらっしゃるので、度々出食わすわけですから、何か思ったところがあるのでしょう。」
  それでこの前とうとう問い詰められまして、ワケがあるならあるで隠さずに話せとおっしゃるのです。私、仕方がありませんから、お約束をしたと申したのですよ」

「え!」
  貫一は包帯を巻いた頭をもたげて、満枝のしたり顔を許しがたい目で見つめた。彼女はさすがに過ちを悔いた顔で、左手を膝に載せて牡丹の蕾のように綺麗に揃ったフリルをまさぐりつつ、彼の咎めを畏れるような上目遣いを作った。
「何てことを!! なんてバカなことを言ったもんだ」
  萎れる彼女を尻目に、
「もういいから、早く帰ってください」
と言葉を継いだ彼は、一喝の怒りに任せて半ば起こした身体を勢いよく投げ倒したので、腰部の傷が強く痛んで堪らず呻き声を立てた。
  不意のことだったので、満枝はことさら戸惑い、
「どうしたの、どこか痛むのですか」
と手早く介抱しようとするので、彼はその手を払い除ける。
「もう帰ってください」

  言い捨てた貫一は、またも寝返って背中を向ける。場はにわかに静まり返った。
「私、帰りません! あなたがそんな酷いことを仰るなら、ますます帰れません。私だっていつまでもここに居られるわけじゃないのですから、気分良く帰られるようにしてくださいね」
  決まり悪さで立ち上がった満枝だったが、ドアが開く音で驚かされることになった。入室してきたのは付添人だろうか。いや、そうではない。看護師か。違う。医者の回診か。ノーだ。ならば助手か。もちろん違った。それはゴマ塩みたいな柄の羅紗仕立ての分厚いコートを纏う肥えた老紳士だった。彼は室内のありさまを一瞥するや、ムッとした色を顔に浮かべた。
  満枝は内心少し慌てたものの、顔にはさして出さず、しとやかに会釈した。
「あら、いらっしゃったのね」
「ほほう、これはこれは毎度お見舞いくださって」

  老紳士は同じく慇懃に会釈を返すが、疑いもなく逆の意思を示す落ち窪んだその眼で彼女の横顔を一瞥した。静かに臥せっていた貫一は、発作に見舞われたような気分を感じつつも、身を起こして鰐淵直行を迎えた。
「どうかい。愛らしい人にお見舞いに来てもらえて羨ましいのう」
  出し抜けの一言は二人を不快にしたが、何も返答しなかったので場は白けてしまう。ただ「それみろ」と言わんばかりに、直行がひとりで笑っていた。
  どう応えたものか。どう弁解するべきか。どう対処すべきかを思い煩う貫一は難しげな顔を向けるが、かたや満枝は悪びれた様子もなく、椅子の前の暖房に当たっていた。

病室

「しかしお宅の都合もあるだろうし、それにお忙しいのに度々お見舞いいただくのも申し訳ない。それに貫一の体調もだいぶ良くなった。もうご心配には及ばないんで、今後のお見舞いはお断りしますわい」
  口先で丸めこもうとする邪魔立てを、満枝は憎らしく感じた。
「いいえ。お気遣いなく。この近所まで毎回用事がありますので、ついでにお伺いしているだけなので。ご心配には及びませんの」
  直行の眼が再びぎらついた。貫一は助け船を出さねばと、傍らから言葉を添える。
「毎度お訪ねくださるので、却って私も迷惑に感じるわけですし、どうかそう言わず。ご足労は不要ですから」
「当人も気の毒に思ってこう言っているわけです。せっかくではありますが、決して余計な心配をしてくれるなということじゃ。な?」
「お見舞いに伺うと邪魔だってことなら、私、ご遠慮することにしますわ」
  満枝は色目を使って直行を見詰め、続けて顔を背けてあらぬ方を向いた。

「い、いやいや、決してそんな訳じゃ…」
「あんまりな言い草じゃないですか! 女だと思って舐めてそう仰るのかもしれませんが、そこまでの指図は受けませんわ」
「いや、そう悪く取られてしまっては困る、要はあんたのためを思っての進言じゃ…」
「何をまたそんなことを。お見舞いに伺うのがどうして私のためにならないって言うのですか」
「それに心当たりがありませんか」
  得意の作り笑顔を思いのままに操って、直行は巧みに柔和な表情を拵えた。満枝は少々いらだちつつも、
「ございません」
と答える。

「それはあなたがお若いからでしょうな。甚だ失礼を承知で申し上げてみようかね。な。あなたも若けりゃ、貫一も若い。若い男の所に若い女性が度々出入りすれば、何もなくとも人があれこれ言いやすい。
  いいかね。そうすれば貫一はともかくとして、赤樫さんという夫のあるあなたの身に傷が付く。それは宜しくないことでしょうに」

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