カンタンに読める!金色夜叉/現代版

貫一の純真さに
却ってお宮は動揺する

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前編第5章-2-

 貫一の純真、お宮の不純

  貫一は帽子を被ったまま、コタツに肩肘を下ろし、斜めにお宮の顔を見遣りつつ、
「だから僕はいつも水臭いって言うんだ。こう言えばすぐに疑り深いだの、神経質だの言うけれど、そうに決まってるじゃないか」
「だって何ともないんだもん…」
「何ともないのに、ぼんやり考えごとをしたり、溜息をついて塞ぎこんでいるはずがないじゃないか。僕はさっきから戸の外で立って見てたんだよ。病気なのかい? 心配事でもあるんじゃないのかい? 言ってくれたっていいじゃない」

  お宮は何を言えばいいのか判らず、ただ膝の上の赤い布を弄っている。
「病気なのかい?」
  お宮は首を横に僅かに振った。
「それじゃ、心配事?」
  また横に振るので、
「じゃあ、なんだっていうのさ」
  お宮はただただ胸の中で車輪のようなものがグルグル回る気持ちになるだけで、ホントだろうが嘘だろうが何の言葉をも吐き出すことができなかった。犯した罪が最後にはバレてしまうのを知った瞬間の恐怖に似た戦慄を覚えたのだ。何と答えようか戸惑っているのに加え、傍で貫一が更に詰問しようと待ち構えている。そう思うと、身を搾られるように感じる呼吸と呼吸の合間にも、何とも言えない冷や汗がつぅーっと流れていく。

「それじゃあ、なんだっていうのさって言ってるじゃないか」
  貫一の声が段々イライラしてきた。理由を言えないのは何か怪しい、と思うからである。その反応にお宮は驚いて、不覚にも口を衝いて出てしまった。
  「なんでなのかは私にも判らないんだけど…
  この二・三日、どうしたんだか…いろいろと変なことを考えるようになっちゃって、何だか世の中がつまらなくなって、ただ悲しいのよ」
  呆れた貫一は、瞬きもせずに聞いていた。

コタツで呆れ顔

「人間って、今日こうして生きていても、いつ死んでしまうから判らないのよね。生きていれば楽しいこともある代わりにツライことや悲しいこと、苦しいこともあって。ひとつ良いことがあれば、もうひとつは悪いことが起きるでしょ。考えれば考えるほど、私は生きて行くことが心細くなるの。
  ふと、そう思うようになったら、毎日そんな事ばかり考えて、嫌な気持ちになって。自分でもどうかしたのかしらって思うけれど、私、病気みたいに見える?」

  目を閉じて聞いていた貫一は、ゆっくり瞼を開くと同時に眉をひそめて、
「それは病気だ!」
  お宮は萎れたように頭を垂れた。
「でも心配することはないよ。気にしちゃダメだ。いいかい?」
「うん。心配しはしないわ」
  妙に沈んだその声の寂しさを、貫一は聞いてどう感じただろう。

「それは病気のせいだ。心の病だよ。そんな事を考え始めてしまうと、一日だって笑って暮らせる日はありゃしないさ。大体世の中なんていうものは、そう面白いものじゃないんだから。人の身の上のことくらい先が判らないものはないってのは、確かにそうなんだけど、皆が皆そんな考え方になってしまってみなよ。世界中、お寺ばかりになってしまうじゃない。
  儚いことがこの世の中だと覚悟した上で、その儚いつまらない中で、せめてもの楽しみを求めて僕らは働くんだろ。考え込んで塞ぎこんだところで、元々つまらない世の中に儚い人間として生まれて来た以上は、今更どうしようもないじゃん。
  だから、つまらない世の中を幾らかでも面白く暮らしていこうと考えるよりほかにないのさ。面白く暮らすには、何か楽しみがないといけないだろう? ひとつでもコレだという楽しみがあれば、決して世の中はつまらない物ではないよ。宮さんは楽しみが無いんだな。この楽しみさえあれば生きて行けると思える程の楽しみが無いんだね。」

  お宮は美しいその目を上げて、何かを求めるように貫一の顔を見た。
「きっと無いんだね」
  その顔は笑っていたが苦しげに見える。
「無い?」
  お宮の肩を掴み、貫一はこちらに顔を向けさせようとする。されるがままに彼女の身体はゆるりと向きを変えたが、顔だけは恥ずかしそうに背けていた。
「さあ、無いのか? あるのか?」
  肩に懸けた手を離さず、しきりに揺らすので、お宮はハンマーで打ちのめされている気がして心穏やかになれない。冷や汗がまたひとしきり流れ出た。

「こりゃマズい!」
  お宮はこわごわと彼の顔色を窺った。
  お宮をからかういつもの顔だった。表情は和らいで、怒るどころかむしろ口元は笑っているではないか。
「僕はね、ひとつ、大きな大きな楽しみがあるんだよ。だから世の中が愉快で愉快でたまらないんだ。一日が過ぎて行くのが惜しくて惜しくて仕方ない。
  僕は世の中がつまらないから楽しみを作ったわけじゃないよ。その楽しみのために、この世の中で生きているんだ。もしこの世の中からその楽しみを取り去ったら、世の中は無い! 貫一という人間も無い! 僕はその楽しみと一生を共に生きるんだ。宮さん、羨ましいだろ?」

  お宮はたちまち、全身の血が凍りつくかの寒さに耐えきれず震えた。それでも心の中を悟られまいと思い、気力を振り絞って答える。
「羨ましいわ」
「羨ましいなら、宮さんにだけは少し分けてあげよう」
「?」
「ええい! 全部あげてしまえ!」
  彼はコートの内ポケットから、袋を取り出してコタツの上に置いた。その弾みで、緩んだ袋の口から紅白の玉がポロポロと乱れ溢れ出てくる。それはお宮が一番好きなお菓子だった。

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