カンタンに読める!金色夜叉/現代版

美しきお宮の
誰にも言えない野望

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前編第3章-2-

 測らざる意識の差

  また、お宮も貫一のことを悪く思ってはいなかった。とはいえ、おそらく貫一がお宮を慕う気持ちの半分もなかったであろう。
  彼女は自分が美人であることをよく知っていた。世間の女性で自分の器量を知らない女なんていない。知り過ぎるくらいに知っているので悩むのである。それゆえ、お宮は自分の美貌がどれほどの価値なのかも、ちゃんと判っていた。自身の美貌からすれば、小金持ちに毛が生えた程度の資産を相続して、そのへんに転がっている程度の大学院卒を夫にする程度では、釣り合いが取れない。全然満足できやしないのだ。

  彼女は上流階級の妻が、貧しい庶民から出た例が少なくもないという事実を見てきた。また、富豪が醜い妻を疎んじて、美人の愛人と親しげにする様子も見てきた。才覚さえあれば男が立身出世することは思いのままである。同様に女は、色気をもって富を得ることができると彼女は信じていたのだ。
  そして彼女は色気で富を得た人たちの何人かを見たが、その容貌は自分ほどではないことも把握していた。なんたって、お宮は行く先々で美貌を称えられるくらいの美しさだったのだから。

  またもうひとつ、彼女の意志をさらに強くさせた事件があった。それは彼女が十七歳のときに起きた。
  当時、彼女は明治音楽院に通学していたのだが、バイオリンの教授だったドイツ人が、彼女にラブレターを手渡したのである。しかも遊びとか一時の恋愛ではなく、結婚を望んでのものだった。
  ちょうどその頃、学校の院長のなんとかとかいう男も、年齢は四十を超えていたが、先年妻を失い、今度はお宮を妻の座に迎え入れようともした。密かに部屋に招き入れて、切なる気持ちを打ち明けたのである。

花束とラブレター

  このとき、彼女の小さな胸は破裂するかのように轟いた。半分はこれまで経験したことがなかった恥ずかしさのため、もう半分は俄かに湧き出てきた大いなる希望のために。
  彼女はここに来て初めて、自身の美しさが少なくとも高級官僚以上の地位ある男性を夫にするに値すると確信を得たのである。
  お宮を美人と見て心を寄せてきたのは、彼女の教授と院長だけではない。すぐ隣の男子部の学生たちが彼女を見て騒いでいたことも、お宮は当然知らないはずがなかった。

  もしもあの教授と結婚していたら、あるいは四十歳の院長と一緒になっていたら、彼女の栄誉ある地位は、大学院卒を婿にして鴫沢家の跡継ぎをするレベルのものではないだろう。一旦胸に宿った希望は年々大きくなり、彼女は昼でも始終夢を見ていた。今にも貴い人か裕福な人か、はたまた名のある人が自分を見つけ出して、玉の輿を担いで迎えに来てくれるであろう天命が、必ずやって来ることを信じて疑いもしなかったのである。

  お宮がそこまで貫一を深く慕っていなかったのは、全てはこういうことなのだ。それでも決して彼を嫌っていたわけではない。彼と一緒にいれば、さすがに楽しいなとは思っていた。
  このように決定的に存在するようでいて、薄らぼんやりあるのかないのかはっきりしない幸運を望みながら、お宮は貫一に愛情を持っていた。そして貫一は、お宮が自分を愛する以外に誰のことも想っていないのだと思い込んでいたのだ。

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